BASARAの石田を幸せにし隊。

戦国BASARA3の石田三成をひたすらに応援するこっそり避難ブログ

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

雲路の果て 後篇

幸村伝ベースの家三、これにて了。
こんなに重くて暗い家三を書いたのは初めてかもしれません。
最後までおつきあいくださるとさいわいです。


--------------------------------------------------------------------------------



 江戸城は本丸御殿上段之間において、伊達政宗と片倉小十郎は既に上座にて待っていた家康と対面した。
「待たせちまって悪かったな」と頭を下げる政宗に向かい「何を云う、わざわざ奥州から江戸城普請の様子を見に来て呉れたのだ、嬉しく思うぞ独眼竜」と。家康は明るく厭味の無い、変わらず人の好い笑みで双竜を迎え入れて。
「伊達家からの普請の手助け、誠に感謝しているぞ。お陰で江戸城の拡張も、滞りなく進んでいる」
 そう云って己に頭を垂れてさえみせる家康に向かい、「いや、お陰さんでこっちも名実共に奥州筆頭だ。アンタはオレに大事なモンを預けてくれた、それに応えたいだけだ」顔を上げてくれ、と。
 政宗は右手を軽く上げて、南蛮人のように肩を竦めてみせた。
 その様に「はは、相変わらず男前だな」と。明るく笑ってみせる家康に、かつての仇敵を囲ってみせる暗さなど微塵も感じられず――政宗は、左近の云ったことに一瞬疑いさえ抱いてみたが。
 この笑みに騙されてはいけないな、と。横に置いていた竜の六爪を己の後ろに退けて「もう刀の要らない世が来るのかねぇ」と、小十郎にも二対の太刀を腰から外すように促して。其の様に――武士が刀を己の背に置くということは、対峙する相手に服従を誓うことの表し――家康も「独眼竜……」と。奥州筆頭である彼がこうして己に礼を示してきたことに感じ入って。
「もちろんだ。そのタメにワシは関ヶ原で全力を尽くして三成を討ち取り、豊臣を滅ぼしてまで此処までやってきたのだ。ワシを信じて欲しい。まだ豊臣の残党、各地に徳川のやり方に異を唱えて燻る牢人達も残っているが、ワシはきっと徳川の名の元……いや、征夷大将軍として。日ノ本全ての民草が安寧の元、笑って暮らせる世にしてみせる……!!」
「家康……」
 力を込めて語りかけてくるその様に、思わず政宗も目を瞠り彼の決意が偽りではないことを知る。
 だが、だからこそ。
 その誓いを危うくするような――もしも密かに生かしておいた石田三成が、この地を脱して再び豊臣方残党を奮い立たすようなことにでもなったら――関ヶ原で多くの西軍武将が散った意味、真田家が真っ二つに引き裂かれることになった意味はどうなるというのか。
 確かめねばならない。
「独眼竜、兎にも角にも、今日はこうして逢えたのだ。酒の用意をしてある、舌の肥えたお前でも、江戸の海の幸はなかなかのモノだと思うのだ。さあ、一献傾けよう」
 家康がぱん、と手を打てば、直ぐに侍女らが江戸の土地の恵みで作られた馳走と三河の地酒を、政宗と小十郎の前と運んできた。

 家康の云ったとうり、江戸の海の幸は思っていた以上の美味であることに、政宗は素直な賞賛を贈った。
 そのことに家康はとても喜び、「此処はきっと、日ノ本の中心の地と成ると思う」と、風水的にもとても恵まれた土地であること、平野であるからこその利を政宗に語った。
 政宗もまた、奥州は冬こそ厳しいものの多くの土地の恵みがある、米も土地を拓けばもっともっと獲れるはず、と。互いに暫し、笑顔での小さな宴が進んだ。
 やがて話は関ヶ原合戦のこととなり、大谷刑部があそこまで奮戦するとは、小早川が東軍につかねば事実どうなっていただろう、石田三成の取った策は間違ってはいなかったかもしれないが、余りにも彼は独壇場過ぎた――という戦術についての語らいとなっていったが。
 話題が石田三成に触れたことに、この瞬間を待っていたかのように政宗が家康に問うたことは。
「なあ家康、石田三成っていうのはどういう男だったんだ?」
 と。
 ここぞ、と政宗はさりげなく切り込んだ。
「秀吉がアンタに倒された後、豊臣の名を背負って立った将……だが、其の前はアンタら二人であちこちを豊臣の為に平定してたんだろう? 石田三成ってのは、秀吉や竹中半兵衛が己の後継だと認める程の器だったっていうじゃねえか、ならば」
 
 なんでアンタに敗れたんだろうな?

 政宗の問いに――家康の笑顔が少し弱まり、何処か寂しげなものとなり。彼は少し視線を下に落としながら、政宗の問いに答えた。
「――三成は。まるで抜き身の白い刃のような男だったよ」
 盃を置いて拳を両膝に置きながら。家康は静かに、想い出を辿るように。
「危険なほどに鋭く、真正面から全てを断つ。そんな、研ぎ澄まされて真っ直ぐに正しすぎる刃だった」
「ほう……」
 政宗もまた酒をあおる手を止めて、しかと家康の表情を確かめるように応えて。
「だから、正しすぎるからこそ……余りにも豊臣のタメに正しすぎるからこそ、余りにも多くの敵を作ったな」
「その“敵”にはアンタも含まれてんのか」
 その問いに、家康はふ、と哀しげに首を横に振って。
「ワシは最後まで三成の味方で在りたかった。だが、三成が作ってしまった敵が、ワシをそうさせてくれなかった。結局、ワシは三成ではなく……」
 そこまで云いかけて。はっとして家康は酒に酔った己を諌めるかのように。
「ハハ、今更語ったところで」
 困ったように、口元には笑みを浮かべながらも瞳には微かな陰を落としながら、家康が云った。
「ワシは三成を斬首した。豊臣を滅ぼして己が手で天下統一を成した。そして今がある。この事実に変わりは無い」
 侘しいものだ、と。
 続けた家康に、政宗がはっとして息をのんだ。
 こんな表情。この男にこんな表情をさせてみせる程の――そういう“絆”だったのだと。分かったから。
「ワシは三成と見たかった。この新しい泰平の世を。そう想えるくらいには、ワシにとって石田三成という男は大切な存在だったよ。だが、お互いの理想があまりにもかけ離れていると気付いた時には――」
 もうこれ以上は、と瞳を閉じて言葉も閉ざした家康に向かい、政宗は再び問うた。何故、そうまで想っていたのならば、と。
「……後悔はしてねぇのか」
「――後悔?」
「ああ、石田三成を此の世から葬ったこと」
「……まさか」
 ふふ、と。それは今まで見せていた笑みとはまったく違う、何処か暗く重い笑みを。家康は浮かべながら。
「死んで貰わねばならなかった男だ。徳川による泰平の世の為に」
 政宗の隻眼をしかと見詰め返しながら。家康ははっきりと宣言した。
「豊臣は、日ノ本の安寧だけでは飽き足らず、外つ国の侵略まで望んでいた。三成があのまま秀吉殿の遺志と共に歩んでいたら、この日ノ本は百姓の倅まで一人残らず駆り出されて明の国まで攻め入る大戦に突き進むことになったであろう。ワシはそんなことは望まない。ワシが望むのはただひとつ、日ノ本の民皆が笑って暮らせる泰平の世だ。独眼竜、お前だってそうだろう?」
「Of course」
 深く同意の頷きをしながら、政宗は
「もちろんだ。アンタの云うとおりだ、豊臣は富国強兵を唱えてはいたが、あのやり方は国を豊かにするどころか根っこから弱らせるようなモンだと思っていた。それを継いで突き進もうとしたのが石田なら……そう、殺さないと。だよな?」
「――……?」
 政宗の問いように。
 ほんの少しの違和感を覚えて、家康が微かに山吹に光る瞳を細めた。
 殺さないと。殺“した”、ではなく。
 まるで、これからそうしなければならない、とでも云いたげな――
 そして気付く。まさか。彼がわざわざ奥州から江戸へ足を運んだのは、江戸城普請の様子を窺いに来たのではなく――
「……独眼竜、その云い様は」
 家康が云いかけたことを遮って、政宗が胡坐の膝の上に肘を置き、前のめりになりながら至極低く、静かな声音で再び問うたことは。
「――なあ家康、アレは本当に石田三成の首なのか?」
 挑むように鋭い隻眼の竜の眼光で、政宗は肚を括って家康に問うた。
「いや何――オレの知り合いで、石田の顔をよく知っているのが居るんだけどよ。ソイツが云うには六条河原に晒されているあの首、“アレはよく似ているけど石田三成ではない気がする”ってな――」
 云うんだ、と。
 微かに笑みさえ浮かべながら、政宗は真剣を抜くが如く、はぐらかすことは許さないという気迫を静かに漂わせていた。
 後ろで静かに見守っていた小十郎も、瞳こそ伏せてはいるが政宗と同じように気迫を纏いだして。
 瞬時に空気の変わった――今は蝋燭の明かりで煌々と照らされている間が、抜き差しならぬ危うい張り詰めたものに変わったことに、小十郎が心の中で(やはり、そうなのか……?)と。同時に、だとしたら。返答次第では政宗の身がどうなるか分かったものではない、と。どう出る、この男のやり方はあまりにも読めねえ、そして――どれだけ自分に尽くしてきた、絆を結んでいたとしても。そんな相手だろうと天下泰平の為には何でもしてみせる、みせた男だ――と。小十郎が心の中で冷たい予感を感じた時に。
 家康は、暫しの重い沈黙を破り――まるで明日の天気の行方でも案ずるような口調で云った。
「それよりも独眼竜、お前が知っておくべきなのは」
 酷く暗い、太陽とは思えぬ光を瞳に宿しながら。
 家康は、政宗と同じように肩肘を膝につけて挑むように前にのめりながら、政宗に告げた。
「ワシの手の内に、真田幸村と昌幸親子の命がある、ということだと思うぞ?」
「――な……ッッ……」
 その名前に。政宗が隻眼を見開き、歯を剥いて。
 小十郎もまた、眼を見開き小さく息を呑んだ。
「家康……アンタまさか……!!」
「九度山を囲むは、伊賀の精鋭の忍の者達。ワシの一声で、いつでも真田親子を消せるようにはしてあるのだ」
 ぐ、と胸を張り背筋を真っ直ぐにしながら。家康は今はもう、完全に駆け引きをする顔となって政宗と対峙していた。
「聞き及んでいるぞ。真田幸村とお前は、幼い頃から切磋琢磨して競い合っていた好敵手であると」
 ふふ、と。
 まるで自嘲するかのように。そう、ワシは知っていると。家康は続けた。
「好敵手……目の前に立ち塞がり、だが共に同じ高みを目指し競い、時には励ましあい……何者にも変え難い、どんな宝よりも大切でいと惜しいモノだ。そうだな、好敵手とはそういう存在だ」
 ワシには分かる、と。
 氷の様な冷たさで云い放つ家康を見詰めながら、政宗ははっと息を呑んで想った。
 では、この男にとっての好敵手とは。Rivalとは。一体誰だったのだろう、と。
「――お前の処に居る“三成をよく知っている者”にも告げておいてくれ。石田三成は死んだ。確かにワシがこの手で殺したのだ。これ以上の詮索は、自身だけではなく周りの者にとってもタメにはならないと」
「……!」
 今度こそ言葉を失い――目の前の東照権現の有無を云わさぬ忠告に。
 政宗はぎり、と口を真一文字に結ぶしかなく。
「独眼竜、ワシとお前、目指し望むものは同じだと信じている。もう死んだ者の為に、ワシはこの絆を失いたくはない」
 ふっと。打って変わった柔らかな笑みを取り戻し、家康は政宗に云った。
「もちろん、真田幸村とお前の絆が失われることも、ワシは望んでなどいない。さあ、今一度盃を交わそう――この国の泰平、民の安寧の為に」
 膳の上に放って置かれている政宗の空の盃に、手ずから酒を新たに満たしてやりながら。家康は
「ワシの望みはただそれだけだ」
 と。
 まるで影を覆い隠す、影さえも掻き消してしまうような明るい笑みで、政宗に向かいあっていた。








 江戸城普請の査察、の名目で発ってから数日の後、奥州・青葉城へと戻ってきた政宗と小十郎を、今か今かと待っていた左近は、櫓の見張り番から「お戻りになりました!!」という報せを聞いた途端に風のように飛び出して、正門で二人を出迎えた。
「竜さん、右目さん……ッッ!!」
 だが、遠路を急ぎ戻ってきた二人――小十郎が眉間に深い皺を寄せながら、左近を見とめて首をふるふると横に振った瞬間。
 左近の顔もまた、驚きと暗い予感で歪められて。
 ざんっと愛馬から降りて――政宗もまた、小十郎のように厳しい表情で出迎えた左近、その後ろには勝家も案じながら控えていたが――ふたりの顔を暫し無言で見詰めた後。重い口を開いた。
「……すまん、Boy」
 政宗から、信じられない己への詫びの言葉が出たことに。
 左近は片目を見開いて、息を止めた。
「家康は本気だ。本気で石田が死んだことにして、自分のモンだけにしようとしている」
 チッ、と、それは誰に対しての舌打ちだったのか。
「……すまねぇBoy……オレの一番大切なモンを人質に獲られた」
「――竜さん……!?」
 自分に詰め寄る左近の顔を苦しげに、だが真っ直ぐ見つめ返しながら。政宗は遠路の疲れの滲む顔で、だが伝えねば、と。言葉を振り絞った。
「Boy……家康は“石田三成は自分が殺した”と……ただそれだけを繰り返した。そして……“六条河原の首が、三成のモノではないと云う、三成をよく知る者にもこれ以上の詮索は無用。続ければ、周りの者のタメにもならない”――そう告げておけと」
 其の言葉に左近が息を呑んで。
「そしてオレには、真田幸村と昌幸親子……其の命、自分がどうとでも出来る、と脅してきやがった。間違いない、石田は生きている。でなければこんな脅しかける必要ねえだろう」
「そんな……!!」
 クッ、と唇を噛み締めて「三成様……!」と瞳を強く閉じながら、涙ぐむ左近の肩を。案ずるように勝家が寄り添ってそっと手をかけたが。
「チクショウ……ッッ! 竜さんまで脅すなんていよいよ狂ってやがる、家康……ッッ」
「――Boy、お前も今すぐ此処を出たほうがいい」
 次に政宗から告げられたことに。
 驚いて顔をあげ、非難じたのは勝家で。
「そんな……!! 左近に、青葉山城から出て行け、そう仰るのですか!?」
「――勝家」
 苦しげに。弟のように想う者から詰め寄られ、だが政宗は云った。
「家康の口調からすると、恐らく左近が生きていることはとっくに知れちまってる。あいつは伊賀忍を抱えているからな。そして、オレが左近の意思を代わりに伝えてしまったことで……もう既に――」
 政宗の言葉の最後まで待たず、左近はく、と顔を上げて
「オレが竜さんトコに匿われているってのも、バレてんでしょうね」
 と。気丈に答えてみせて。
「ああ。ヘタすれば、もうこの城の中に家康の手の者が忍び込んでお前の命を狙っている……かもしれない。Boy、お前が望んでいることは家康にも手に取るように分かってしまっているハズだ」
 だとしたら。
 左近も黙って頷き、政宗の云わんとするところを汲み取って。
 二人のやりとりを青褪めた表情で見詰めていた勝家は「そんな……!」と。ただ苦しげに「片倉氏、どうしようもないのでしょうか」と。縋るように小十郎を見上げたが、「往かせてやれ」と。小十郎がただそれだけを低い声音で搾り出したので、嗚呼、なんということに、と。想い人の横顔を翠玉の眼を潤ませながら見上げたが。直ぐに意を決して
「私も往こう」
と、左近の手を握った。
 だが、その手はそっと引き剥がされて。左近はとても優しくゆっくりと。勝家の手を己の手から剥がし、見える左目にいと惜しむ光を宿しながら云った。
「俺一人で往く」
「何故!?」
「二人では目立つ。それにいざという時にあんたを巻き込みたくないんだ。勝家……あんたは本能寺の変以来、行方知れずで通ってる。それでいい。竜さんの傍にいるんだ」
「しかし……!!」
 食い下がる勝家を遮るように、政宗が
「うちの草……忍をつけてやる。往ってこい。そして、自分で確かめてみろ、Boy」
と続け、勝家ももうこれ以上引き止めることは出来ないのだと悟った。
「すぐに発つ準備をします。竜さん、右目さん、ほんとにお世話になりました」
 何のお返しも出来なくて、と苦しそうに瞳を伏せて頭を深々と下げてみせる左近に、双竜も何とも気持ちの好い義理堅い男だ、石田三成に過ぎたる者、と賛辞されていた理由が分かった気がする、と。小十郎は左近の肩に手を置いてやり、「いいか、決して命を粗末にするんじゃねぇぞ。あの大戦を生き残ったんだ、大事に使え。もしも行き場を失くした時は、また此処に戻って来い」と、ぐっ、と若者の肩を揺さぶった。
「……ありがとう、ございます……ッッ」
 思わず涙ぐむ左近に政宗も「小十郎の云うとうりだ。死にに往くんじゃねぇ、お前の大切なモノを確かめに往くんだ。生きてまた顔みせろよ、Bad boy」と声を掛けてやり。
 かつては敵同士であったひとらの温情に、もう何も云えずに左近がもう一度頭を下げ、旅立ちの準備をするために振り返れば。
 そこには、宝玉のような翠の瞳を水鏡のように光らせた勝家が居て。彼もまた云った。
「……私も、待っている、から……」
 お前を、と。
 武将で在る前に、ひとりの人として互いに恋慕を通わすひとの想いに、左近は思わず鈍る決心を感じ「ああ、俺はこのひとが好きなんだ」と噛み締めて。
「わかってる」
 ぱっといつものように明るい笑顔を勝家に向けて、左近は頷いて見せた。
「分かってるよ、勝家。俺が想う人はあんただ。三成様は俺の大切な主君だけど、俺の心はあんたのモンだから」
 忘れないでくれ、と伝えられれば、もう耐え切れなくて左近の胸に飛び込みひしと抱き締める勝家に、さすがの政宗も「おい、あんまり見せるつけるんじゃねぇぞ」と苦い顔をして、小十郎も「まったくですな」とクク、と笑った。
 
若いふたりの様に、政宗はふいに遠く、九度山とはあちらの方であろうかと空を見上げ。奥州より遠い地で父と二人侘しい想いをしているであろう好敵手――Rivalである男を想い、「……逢いてぇな」と。誰にも聴こえぬ程の声で呟いた。






 其の頃。江戸城最奥に築かれた屋敷の中。
「……伊達政宗が……!?」
「はい」
 己に与えられた間で、家康から贈られた山のような書物、詫び寂びに富んだ名物に囲まれながら。それらを持て余しながら今でも孫子の兵法を読み耽る三成の元へ現れて、朧が家康に独眼竜・伊達政宗が“六条河原に晒された石田三成の首は本人のモノなのか”と問うたことを伝えていた。
「何故……」
「恐らく、伊達に匿われている島左近様に頼まれてのことではないかと」
「何……ッッ!?」
「他の忍が確かめております。島左近様はあの関ヶ原を生き延びて、柴田勝家様に助けられてそのまま伊達家に匿われております」
 つらつらと。相変わらず忍らしく、まったく表情を動かさぬままの朧に告げられて、三成は広げていた書物をそのままに、後ろに控える彼女に向き合って。
「左近は、島左近は生きているのか……!?」
「はい」
「柴田……勝家……? 確か織田の武将であったな、本能寺の変以来行方知れずだった筈、何故その男が左近を助ける……?」
 いや、それはどうでもいいと。
「だが、何故伊達政宗がわざわざ左近の頼みを聞くことがあるのだ……?」
「もしも、貴方様が本当にご存命とあれば、生き残った各地に散らばる西軍残党……豊臣恩顧の武将達も再び動くからでは、と危ぶまれたのでしょう」
 朧はくノ一らしく、各地の世情を熟知したうえでの事実を三成に告げた。
「それほどに危ういことなのです。大殿が貴方様を生かしているということは」
 だからこそ、確かめに来られたのでは、と彼女の云うことに。
「…………」
 三成は暫し虚空を睨みつけ、沈黙していたが――
「……解らない」
 ふいに、酷く低い――だが、微かに震えるような声音で。彼は誰に云うでもなく続けた。
「私を殺して己の信じた道を往くのではなかったのか……? 世間を欺いて私を生かす……だが何処かからこの事実が漏れたら今の立場が危うくなるどころか、築いた幕府、泰平さえ危ういではないか、何故、何故……」
 殺さない、と視線を泳がす三成を、静かに見詰めながら。朧が云った。
「それはひとえに」
 ひとつ。呼吸を置いて、彼女はふっと。正体を明かしてから初めて、表情らしい――其れは酷く切なく哀しげな――を浮かべて。
「家康様にとって、貴方様の代わりに成る者など居られぬからです」
 告げられたことに、三成が驚いて彼女の顔を見詰めた。
 今の彼女はくノ一としてではなく、ひとりの女として三成と対峙していた。初めてこの女の顔を見た気がする、と三成は彼女の白い肌に浮ぶ黒い瞳を見詰めながら、彼女の言葉の続きを聞いた。
「天下を泰平に導く、それも確かに大殿の悲願でございました。ですが、それよりもなによりも。貴方様の為にこの大奥を造られて、貴方様の為だけに――」

 豊臣を滅ぼしました。

「大殿を狂わせたのは貴方様に他なりません」

 三成様。

「あの御方はただひたすたに耐える御方でした。ですが、貴方様に対してはその枷を外された。耐えることをせず、己が手に入れようとしたのです――」

 太陽が、月を愛でて光らせることを望み続けるように。

「貴方様は豊臣の子でした。豊臣が在り続ける限り、貴方様が真の意味で己の手に収まることはないと悟った日から――家康様は……貴方様を解放することだけを望まれていたのです」

 豊臣という名の枷から

「枷……? 豊臣の、秀吉様の、秀吉様と私の絆が枷だと……家康は想っていたのか……?」
「恋しい家康様の下へくだれなかったのは、貴方様がひとえに、豊臣筆頭の武将であったが故にではないのですか?」
 女の告げたことに、三成の顔からさっと血の気が引いて――酷く明るい月の下、「どうかワシと共に来て呉れ」と懇願した男の表情が鮮やかに甦り――
 ふらり、と。
 おぼつかない足取りで、朧が驚いて駆け寄るのを払い除け、三成は晩秋の花々で美しく彩られた庭へ――庭へと裸足で進み入って。
 震えてまともに己を支えることも出来ない傷ついた身体を、今更想い知った家康の心を。すべてを引き起こしてしまった、この恋に。
 打ち震えながら、叫んだ。
「嗚呼、嗚呼、アアァ!!」
 咲き誇る晩秋の野花を、狂ったように両手で薙ぎ払い散らしながら。
 三成は啼いた。
 ソレは、傷ついた獣の咆哮のように美しい庭に響いて。
「三成様!!」
 朧が暴れる彼の肩を必死で両手で掴み「お止めください! お身体に障ります!」と、抱き締めて。
「これが嘆かずに居られようか……ッッ……」
 細く長い身を折り曲げ、三成は――足元に咲き乱れる桔梗に埋もれるように。
 彼は今まで流せなかった――血のように赤い涙を幾筋もきつく閉じた瞳から流しながら、震える声音で云った。
「関ヶ原を、豊臣を滅ぼす戦を起させたのが、私の、私への……私さえ居なければ、家康は豊臣を滅ぼさなかった、私が、私が豊臣の子であったが故に、あれは私をこうして手に入れるタメに」

 秀吉様の存在を、完璧に此の世から消さねばならぬと

「なんという……」

 恋は人を狂わす、と世の人々が謳うのをひとごとのように聞いていた。
 だが、此の身を焦がしたあの恋は今も未だ燻るどころか確かに燃え続けていて。
 
「――家康を狂わせたのは、私なのだな」

 泣きながら、雪よりも蒼ざめた白い面を両手で覆う三成の問いに。
 彼の肩を抱きながら、朧が静かに、だが心からの憐憫を込めた声音で答えた。
「左様にございますれば」
 其の答えに。
「嗚呼」
 と三成は更に深く身を折った。
「――もう、戻らぬのだな」
 もう涙を流していない――透明な、家康が「何時まで見詰めていても飽きない」と愛でる苔色の瞳が。
 死んだように遠くを見詰め、だが其の目は遠い遠い、木漏れ陽のような始まりの日々を追いかけていて。

「私を離さない、と云って」
 甦るは、想い伝え結んだひとの、切ない顔で。
「私の傍に居ると、云った」
 そう云って、彼は自分を何度抱き締めただろう。
 遠い日々、だがそう遠くはなかったあの日。忘れることなど出来ぬ距離。
「好きだと云えば、ワシもだと云い、此処に居ると私を抱き締めた」
 だから己も云ったのだ。己もそう想っていると。
「泣くな、と云って、ずっと傍に居るからと、決して独りにはしないと私を抱いた」
 彼が伝えてくれれば呉れるほど。どうして自分は泣いてしまったのだろう。
「私が願うなら、ずっと、此の世のすべてを敵に回したとしても、ずっと、永遠にでも私の傍に居ると云った」
 そして頬を掬いくちづけた。何度も何度も、明るい月下のこの庭で。
「そのとうりになってしまった」
まるで、迷い子のように。
 途方に暮れて項垂れて。
「――だが、私も嘘をついたのだ」
 項垂れて、彼は続けた。其れはまるで己に云い聞かすように。
「あれを好きだ、此の世のすべてを敵に回しても傍に居たい、と想っていたのに。私は豊臣の子である己を捨てられず、秀吉様を一番に想ってあれの手を振り払ったのだから」

 永遠を願うなら。
 一度だけ、あの日一度だけ抱き締めて――
 離せばよかったのに。
 そうすれば、この数多の命を巻き込んだ狂った恋路を、辿らずに済んだのに。

「私さえ……」

 居なければ。

 そう呟いてみたものの、今は。現実は。
 すべてが焼け野が原とされ、立ち尽くして。
 このまま枯れてしまいたいと望んだのに。

 なにひとつ赦せないままでも、守らなければ成らないモノがある。

「――そうか」
 
 そうなのだな、と。
 酷く冷たい頬で、酷くはっきり響く声音で。
 三成は誰に一体云ったのだろう。

「これは私への罰。あの日、あの日々の中で誰よりもお前がいと惜しい、恋しいと伝えられずに。秀吉様の、豊臣の子で在ろうとした私への罰――」

 あの時に戻り、もしも狂う前の君に伝えられたなら。
 凡てを焼き払ってまで、己を奪おうとするまでに君を追い詰めることは無かったかもしれない。

「――三成様……」
 朧は、鈍い空の下、降り出した冷たい小雨の中。
 彼が冷えてしまわぬように、そっと背中を擦りながら懇願した。
「どうか、お解かりくださいませ。凡てを照らす太陽で在ることを強いられたからこそ、忠勝様さえ解らぬ孤独をあの方は背負い込んで、そして――」

 其の孤独に添ってやれるのは

「月の様な貴方様だけなのです」

 三成様

「……解っている」
 赤く涙の筋が残る顔を上げ、冷たい雨を頬に受け止めながら。三成は答えた。
「あれに私は云った。“いと惜しい”と。“ずっと傍にいろ”と云ったのに。私がそれを赦さなかったのだ。なんという矛盾……ならばもう」

 力尽くでこうするしかなかったのだ。

「私との誓いを果たすために」

 ずっと傍に居る。待っているから。
 泣かないで。此処に居るのに。
 ずっと、たとえ星が、天が否と云おうとも。

 木漏れ陽のような、きらきらと瞬く星のような、眩しくて目の潰れるような甘い誓いの数々を。散々交わしたあの日々を。
 想い出しながら、三成は静かにもう一度――今度は透明な涙をひとつ、零した。





 其の夜、今までくちづけだけしか赦さなかった三成が、初めて家康に身体を開いた。
 驚く太陽の権現に、彼は「希っていたのではないのか」とだけ小さく問うて。「嗚呼」と、震えながら太陽の君は「希っていた」と。震える指で、彼の雪の様に青褪めた頬に触れながら。「望んでいたんだ」と。誘われるままに褥に堕ちた。






 それから暫く、日々はとても穏やかに過ぎた。
 三成の傷は大分癒えたが、やはり上手く歩くことは出来ないままだった。だが、奥屋敷で書物を手繰り、庭の花々の手入れを指図するだけの身には、もう不便と思われる程の傷は無かった。
 夜になれば家康が訪れ、ふたりで何をするでもなく冬が来る、此処にも雪は積もるだろうか、庭の木々にも藁を巻いてやらねば、などたわいも無い話をして寄り添って眠ってみたり、家康が望めば三成は拒むことなく静かに情を交わした。
 朝まで、目が醒めるまで同じ褥で自分を抱き締める彼の頬を、夜明けの仄かな光の中で撫でてみれば、あの頃の激情は甦ることなく、只今はこのままでいいと。
 三成は、彼の陽だまりのような匂いを確かめながら微睡(まど)ろんでいた。
 だが――



 寒さの厳しくなってきた日、古傷を痛くする雨――いや、雪になるかもしれない――を運んできた鈍く重い灰色の空を確かめるために庭へ出た三成に、その男がとうとう姿を現した。
 
 ふいに躑躅の木陰に気配を感じ、まさか、此処は伊賀忍たちが守りを固めているのに――? と身構えた時。聞こえたのは――

「……三成様……!!」

 忘れようがなかった。
 かつて己の左に常に控え、石田軍斬り込み隊長として華麗に戦場で舞っていたその男の声を。傷つき彷徨う中を拾い取り、豊臣の力として育てた――大切な、己の左腕を。
「……き、さまは……!!」
 震える声音で呼べば、茂みから彼は音もなく、あの頃の戦装束のままで姿を現した。
「左近……!!」
「三成、さま……!!」
 ぐっ、と。左近は跪き、深く、深く頭を垂れて三成に向き合った。
「遅くなっちまいました……島の左近、生きて此処に参上して仕り候……ッッ!!」
 震える声で、涙が滲む声で左近は「やっと逢えました」と。拳を震わせながらぽとぽとと、涙を幾つも地面に落としながら云った。
「無様に関ヶ原を生き延びたこと、何卒お許しされたく……ようやくお迎えに上がれました」
 そう云って顔を上げた左近の、長い前髪でも隠せない右頬の傷に気付き、三成は息を呑んだ。
「其の片目は……」
「関ヶ原で潰れちまいました」
 ふ、と。ようやく苦い笑みを零した左近が、三成にだけ聴こえるように声を潜めながら早口に続けた。
「そんなことはどうでもいいんです。苦労しました、此処は伊賀の精鋭の忍たちが守りを固めてて、忍び込むまでに時がかかってしまって……伊達さんとこの素破に助けてもらってなんとか今日、ようやっと此処まで……! さあ、三成様、逃れましょう……!! もう家康の手に囲われていることはないんです、ようやくあんたを自由に出来る……!!」
 さあ、と手を差し伸べてくる左近に。
 三成は、嗚呼、と。
 瞬時に己の存在の意味を悟った。
 微睡ろむ日々の中で忘れようとしていたもの。
 豊臣の残された寵児、最後の遺志。
 秀吉の後継、西軍総大将。
 だが、其の己が再び解き放たれるということは。
 あの、数多の命を散らした、あまりにも多くの者が命散らした、豊臣の――大切なひとたちにトドメを刺してしまった、関ヶ原を再びこの世に現すこと。
 それがどれだけ多くの者を巻き込むのか。
 真田昌幸、幸村、左近の右目、そして信乃までをも。
 この己の為に。
 解っていた。解ってしまっている今だからこそ。

「…………これ以上、私に殺させるな」

 搾り出すように。
 低い声音で、三成から告げられたことに、手を差し伸べていた左近の表情が凍りついた。
「これ以上……私は殺せない」
「三成様……!?」
 左近が思わず立ち上がり、三成に歩み寄ろうとしたが
「来るな!!」
 今度こそ、彼ははっきりと拒んだ。
 かつて大切な左腕と認めた若武者の、柑子色の隻眼を真っ直ぐに見詰めながら。来るな、来てくれるなと。どうかこの決心を揺らがしてくれるなと、真っ直ぐに彼を見詰めながら告げた。
「左近、私は死んだ。関ヶ原で確かに家康に殺された。そして今の泰平が、家康の手による泰平がようやく訪れたのだ。もういい、これ以上の死を私は望まない。たとえ今逃れてみせたとしても、家康は何度でも私を手に入れるタメに私の大切な者たちの命を脅かす……私は此処に居て悟ったのだ。もういい、関ヶ原で終らせたい」
 お前の――命すら。あの男は私を傍に置くタメにならばきっと――ならば。
「左近、お前が生きていてくれた、それだけでもう私には充分だ」
 生きてくれ。
 三成から告げられた真意に。信じられない、と慄きながらも、左近の残された隻眼から、熱い涙が零れ落ちた。
「逃げましょう、此処から……!! 俺が必ずあんたを逃がして守ってみせます!!」
 そして――
「もう一度、豊臣の名の下に……ッッ!! 刑部さんやうちの左近隊の連中に……ッッ!! 豊臣の覇の志を信じて散った人たちに、このままでは顔向け出来ない!!」
「――もういい」
 微かに震える声音で。三成は左近の言葉を遮った。
 それはまるで、己に云い聞かせるように。
「もういい、あれらは死んだのだ。秀吉様も、半兵衛様も。刑部も、皆、皆もう居ない、死んでしまった。私を置き去りにして……だが左近――」

 お前は生きている。

「もういい、左近――お前は、お前の為に生きろ」
「……なっっ……!!」
「――家康は私の願いなら聞く」
 其の一言に。
 左近は信じられない、と三成へ一歩詰め寄りながら。
「解るだろう。こんなことをしてまで私を生かしている……家康にとって一番怖ろしいのは――」

 私を喪うことなのだ

 三成の云うことに。
 それでも、左近は認めたくなくて、駄々をこねる小供のように。
「三成様……でも、それはあんたが……あんたが望むことなのか……!?」
「私の意向などどうでもいいのだ」
 最早。
「私は死んだ。あの日、篠突く雨の関ヶ原で。家康に殺され、此の首を刎ねられて六条河原に晒されたのだ。お前もきっと、見たのであろう?」
 くるりと。三成が左近に背を向け、地を這うような――あの頃。あの頃「必ず果たせ」と命を下す時のよう、告げた。
「去ね。そしてもう、二度と私の前に現れるな」

 貴様は生者なのだから

「…………ッッ…………」
 左近が涙を流しながら声を殺して項垂れた其の時。
「――三成様? 誰と話しておいでですか?」
 近侍なのだろうか、低い男の声音が障子の向こうから問うてきて――
 一瞬、三成と左近は目を合わせ息を止めたが。
「誰も居ない」
 はっきりと、三成は障子の向こうに控える影に告げて。
「しかし……」
 影が不審そうに答え、障子に手を掛けた気配がして。
 三成が左近に向かいく、と顎を上げて促した。あの頃と同じように。
 其れは“往け”という合図――
「…………どうか…………」
 最後に。
 左近はぐ、と深く頭を垂れながら云った。
「どうか……どうか、せめて」

 しあわせに

 其の言葉に、はっとして三成が振り返った時には、もう彼は居なかった。
 しあわせに。
 其の言葉に、三成は改めて想い知った。
 そうだ、皆そうだったのだ。
 誰もがソレを求めて必死に――

「……左近……」
 三成もまた、どうかお前も、と願いながら。静かに項垂れてひとつだけ涙を零し。
「……礼を云う、左近」
 左近の去った後を、灰色に鈍く曇る冬のはじまりの空を見上げながら、三成は呟いた。
 
 もう一度逢えて、嬉しかった。

 だが、この想いを言葉にして、声にして伝えてしまえば――
 きっと、お前は。だから。

「……三成様……」
「礼を云う。これでよかった」
 障子を開けた其処にいたのは、男の声とはまったく違う声音に、己の持つ女人の声音に戻った朧で。
 彼女は思いもかけない三成からの礼に、微かにだが哀しげに顔を曇らせていた。
「これでいい」
 これで。 
「勘違いするな。此れは私の、私に対する罪への贖いなのだ」
 何処でもない虚空を睨みつけながら。
 三成は不思議と生気の宿る頬で。
「遠い昔、私は嘘をついた。あの嘘さえなければ、家康は……」
 あの関ヶ原を、あの、数多の命を奪った戦いを。
 もっと違う道があったのかもしれないのに。
 だが、今となっては全てが遅過ぎて。
 大切なひとたちは逝ってしまった。
 だが、まだ残ってくれたひとたちも居るのならば。
 三成は再び己に云い聞かせるよう、声にして確かめた。
「真田親子も、左近も。もう、あれが手を下せぬように。私への恋慕で縛り付けて――」
 其処まで云うと。ふいに、三成は酷く儚げな、まるでそれは迷子の幼子のような。
 長い黒鳶色の睫を震わせながら、蛇のように細くしなやかな首をく、と曲げながら。
「……しばり、つける……?」

 誰を?

「縛り付けられたのは……」

 そうか。
 家康だけではなく。

「そうか…………」

 力なく。打ちひしがれる佳人の肩にそっと、労るように己の打掛を被せてやりながら。
 朧は何も問わずに「三成様、冷えて参りました。お部屋にお戻りくださいませ」
 お身体に障りましょう、と。
 そっと手を取られて、三成はふいに朧の顔を見やると「……信乃?」と。「まるで信乃のようだ」と。あまりに無防備な、いたいけな表情で云われて、朧は思わず「それでようございます」と。偽りのない微笑を彼に投げかけた。
「信乃にございます。三成様」
「――そうか」
 こんなにも弱々しい声音で彼が答えるのを、初めて聞いた。
 嗚呼、この方のお心は、これ以上なく傷ついて砕け散ってしまっているのだ。
 もう殺されてしまったのに、此処で息をして愛でられることを強いられて。
 そのことに、痛みを感じることさえ赦されずに。
 朧はもう何も云えずに、「さ、三成様」とだけ。
 佐吉で在った頃のように彼女に手を引かれて磨き上げられた回廊に上がり、細い影は静かに江戸城の奥へと掻き消えた。







 春。
 広大な庭のあちこちで新しい緑が芽吹き、桜も咲きだした。
 
 庭の奥にある池の傍、三成の肩を支えながら家康は「綺麗だな」と。
 若い桜の樹を見上げながら微笑んで。
 
 ふたりだけ。
 他には誰も踏み入れることを許されない秘された場所で、初めての春だった。

 周りには水のせせらぎと春の小鳥達の囀りだけが響いて、三成もまた穏やかな表情で桜を見上げていた。
「大坂の桜も京の桜も美しいが、半兵衛様のお気に入りの桜もこのように若く細い、でも綺麗な色を咲かした」
「ああ、お前の部屋の前に植えてあったな」
「春には花びらが文机の上まで舞ってきて」
「ああ、お前の西の丸の部屋はよく陽が射して明るかったな」
 此処、江戸城大奥で生きることを決めた最初こそ、牙を抜かれた獣のように生気を失った彼の様に、このまま弱って死んでしまわないかと何処か怖ろしくもあったが。彼は冬を乗り越え、こうして生きて己の横に立っている。
 家康はこれでよかったのだ、と。酷く静かな三成の横顔を見やりながら続けた。
「そう云えば、昔お前が池に鯉を放したことを思い出すよ」
「ああ」
「夏の日に……そうだ、此の池にも鯉を放そうか。三成」
「――みつなり?」
 ゆっくりと。名を呼ばれた筈の者は、逆にそれはたれのものか、と問うように。
 夜の雪のように青褪めた肌に映える、大きな眼を見開きながら。長い首をかしげながら春の木漏れ陽の中で、彼は不思議そうに家康に問うた。

「石田三成は死んだのだろう?」

 おかしなことを云う。と、透明な表情で真っ直ぐに家康の山吹色の瞳を射抜いて。
 彼の答えに、「……嗚呼」と。
 ほんの少しの躊躇いの後、家康は「ああ、そうだったな」と答えて。
 何処か哀しげに瞳を伏せながらも微笑んで、そっと顔を近づけて彼の薄い唇を請うた。家康の求めに流れるように応えて。彼は其の精悍な頬に白い指を這わせ、されるがままに口を開いて彼を受け入れて。
 ふたりでそのまま柔らかな緑の褥に倒れこめば、まるで小供のままごとのようにちゅ、ちゅ、と吸いあう音が水面に響いて吸い込まれていったが。
 ふいに白い手で家康の胸を押しやりながら、着流しから肌蹴た己の足元を彼が見やるので。
 家康も「何?」と半身を起して彼の視線の先を追って。
「――蛇」
 家康の耳元にくちびるを寄せながら、彼が吐息の程の微かさで囁いた。
 じいっと。青大将だろうか、緑青色の鱗を持って真っ黒な瞳をした蛇が。
 行く手を遮られている、とでもいいたげにふたりをじいっと見詰めていて。
 ふたりもなんとなく気まずく思い、息を殺していたら。
 蛇は、するすると白い足首の上を這って、ぱしゃり、と。池に飛び込み悠々と川下の方へと泳ぎ去っていってしまい。
 残されたかつて三成、だった人がその姿を見送りながら、ぽそりと呟いた。
「罪も私を見逃すか」
 酷く寂しそうな云い様に、思わず家康が「みつなり」といいかけて。
 出来なくて、暫しふたり、すべてから取り残されたように、春風が桜の花びらを池の水面に飾ってやるのを見詰めていたが。

 ――大坂城には、関ヶ原を生き残った西軍残党、それに各地で徳川平定による煽りを喰らった牢人達が集結し出している。

 真田昌幸は九度山に配流されたまま死んでくれたが、息子の幸村は親しくなった村人達の助けを受け、密かに見張りの網から抜け出したと報せがあった。

 目を閉じれば、まだ終わってなどいない戦の報せだけが、頭の中を駆け巡る。

 ワシは逃して貰えぬようだ。

 それでも生き延びるし、其の為にならなんでもするだろう。
 これに降りかかる筈だった呪いを咎を、ワシが受け止めて背負って往こう。
 だから、どうか。

「なあ、やっぱり鯉を放そうか」
 夏に泳いでいたら涼しげだろう? と云いながら。
 心の臓の音を確かめるように胸に頭を預けてきたひとの黒髪を撫でながら、月のような彼は
「好きにしろ」
と。
 長い睫を伏せながら「好きにするがいい」と、囁いた。




雲路の果て 中篇

幸村伝ベースの家三、中篇になります。
今回も幸村伝を踏まえ史実ベース、オリジナルの脇役も出てきてよく喋りますので、苦手な方はご留意くださいませ。
次の後篇でラストとなります、宜しくお願い致します。




--------------------------------------------------------------------





 三成が不審に思ったことは、何時まで経っても家康が己の元に姿を現さないことであった。

 此処江戸城で目が醒めてから数十日を数える頃になっても、一向に家康が三成の元に訪れることはなく。
「家康様は、傷の癒えぬ貴方様を案じておられるのです」
 信乃が三成の為に薬湯を用意しながら、静かに答えた。
「三成様、ほら。まだ信乃の助けがなければ床から起き上がることも出来ぬではありませぬか。そんな貴方様と家康様がご対峙されたならば、三成様は心乱してまた臥せってしまわれる……佐吉殿、竹千代様は」
 あらいやだ、つい。
 ほほほ、と品良く笑いながら、信乃が大分回復した三成の両手に、薬湯の入った碗を持たせて。
「いけませんね、こうしていると季節の変わり目、いつもお風邪を召していたちいさな佐吉殿を看病していたことを思い出してしまって」
 ついつい幼名でお呼びしてしまって、と笑う信乃の様子に、三成もまるでこの間は大坂城の己の部屋のようだ、と錯覚してしまい。
「信乃、あまり云うな」
 私はあまり丈夫ではなかった、と。ついに微かにだが苦く笑むまでになった三成の様に、信乃がふ、と瞳を潤ませ――
「……佐吉殿」
 詰め寄りながら、信乃は囁いた。
「どうか、どうか……生きてくださりませ」
「信乃……」
「世の者がなんと云おうとも、信乃は見ておりましたよ。佐吉殿は秀吉様と半兵衛様の子、豊臣の子として誇り高く戦い抜かれました。これ以上、たれがどう責められましょうや。信乃は最期まで佐吉殿とおりまする。家康様にも、そうお頼み申しておりますゆえ」

 どうか、生きてくだされ。

 黒目がちの――己が覚えている頃よりも、皺の増えた顔を必死で寄せてくるかつての乳母の懇願に。
 三成もまた、眼を見開き息を止めて。
 ぐらつく心を感じていた。
 あんなにも憎しみだけで、徳川を倒すことだけを願った心が。
 今、この小さなぬくもりに捕らわれていることに。



 篠突く雨が金の天上の床の間を暗くする晩秋の日に、彼はとうとう逢いに来た。
 信乃が「お傍についております」と、くれぐれもお心乱さぬようにと三成に添いながら、大分傷の癒えた薄い肩を労るように撫でていたが。
「――大殿様の御成りに御座います」
 小姓の静かな声音が響き、音もなく襖は開けられて――
 簡素な肩衣と袴に身を包んだ――徳川家康が足音静かに三成の隠された間にとうとう姿を現した。
 甲冑を外し、無防備にさえ思えるその様に。
 一瞬、三成の脳天は沸騰したかのような紅い殺意に染められ、大きな吊り目がカッ、と見開かれたが。
「三成様」
 と、己が手を握り締める信乃の制止に、ぎり、と歯を食い縛り想い留める。

 未だだ。
 そう、未だ其の時ではない。

「……問題ない」
 低く唸るように、三成は信乃にだけ聴こえるよう呟いて。
 その間にも家康は、まるで傷ついた獣のように鋭い眼光で己を確かめる三成に近づき、何も云わずに静かに、だが少しの距離を置いて胡坐をかくと。
「傷の具合はどうだろうか」
 相変わらず、真意の読めぬ人の好い微笑で問うてきて。
 ほんの少しの爪弾きではち切れてしまいそうな危うい空気の中、信乃は三成の横で嫗とは思えぬように背筋をぴんと伸ばし「お加減は日に日にようなっておりますれば」と、抑揚の無い声音で、瞳を伏せながら三成の代わりに答えた。
「そうか。それはよかった」
 家康はまったく動じずに、相変わらず微笑を浮かべたまま。次には
「信乃。悪いが少しふたりだけにしてはくれないか」
 と。
 其の言葉に、信乃が顔を弾かれるように上げて。
「三成とふたりで話がしたいのだ」
 だが、瞳は笑んではいない。
 家康は、もう一度「悪いが、暫し」と繰り返したが。
「――成りませぬ」
 信乃は、きっ、と瞳に力を込めて拒んだ。
「三成様が貴方様にどのようなお気持ちを抱いていようか、ようくお分かりのはずです、信乃が居なければ――」
「ふたりにしてくれ」
 家康はもう一度。信乃の言葉を遮って、そう告げた。
「……!」
 有無を云わせぬ眼光を宿す家康の気迫に、流石の信乃もたじろいだ時。
「大丈夫だ」
 三成が、信乃の手を握りながらひとつ頷いた。
「大丈夫だ。信乃。行け」
「三成様……!!」
 ですが、と食い下がる信乃に向かい。三成は、身内にだけ向ける柔らかな眼差しを一瞬だけ取り戻し、大切なかつての乳母に云った。
「私はお前を死なせない」
「……!!」
 その一言に、込められた意味を。
 一瞬にして解した信乃は、思わず瞳を潤ませたが。
「……次の間に、控えております」
ご無礼何卒御許しくださりませ、と家康に深々と頭を垂れて、嫗とは思えぬ美しい姿勢と所作で、音もなく打掛を引き寄せながらす、と小姓の後ろへと去っていった。
 次には、家康が顎を上げたのを認めた小姓も一礼をして床の間を去って。
 とうとう、ふたりきりとなった場所に、しとしとと秋の終わりの冷たい雨の音だけが響いて。
 張り詰めた弦を先に切ったのは、三成だった。
「……何故、殺さない」
「殺さない?」
 まるで、関ヶ原でのあの血戦の続きの如く。
 問いはあまりにも自然に始まった。

 何故 何故裏切った家康
 
 それがワシの歩むべき道だったからだ
 
 尽くすべき主を弑して万民を救うのが貴様の天道か

 三成の脳裏に、鮮やかにあの日、刃と共に交わされた言の葉が甦る。
 家康はといえば、それは既に終わったことなのだ、と穏やかとさえとれる表情のまま――だが。
「ワシはお前を殺したぞ、三成」
 次の答えが余りにもそらおそろしく、そして解せぬものであることに、三成は息を呑んだ。
「六条河原には、お前の朽ちた首が今でも晒されているのだから」
「……なッッ……!?」
「ようやくお前を殺せたのだ」
 苦労したぞ、と笑みさえ浮かべながら。むしろさも愉快、とさえとれる調子で、家康は三成に伝えた。
「まずお前に似た顔を持つ者を探すことに苦労した、だがもっと苦労したのはその髪の色だ。あと瞳もな。其の様な美しい水底の苔のような色の瞳は、きっと日ノ本にはお前だけしか居ないんだろうな。まぁ閉じさせてなんとか誤魔化せたが、結局髪の色は染めさせたんだ。半蔵も苦心したそうだ。お前は本当に――」

 あの天の月と同じくらい、稀有なる美貌を持っているから。

「代わりになる者など、本当に居ないんだ」
 そこまで云うと、家康は改めて――はっきりと。低く囁いた。
「三成、お前は死んだ。あの関ヶ原の合戦で、豊臣の最後の寵児として見事に戦い抜きワシに殺されたのだ」
 何を云いたいのか、解らなかった。
 三成は、家康が“水底の苔のような”と云った瞳を小供のように見開きながら。
 目の前の男が、かつては共に豊臣の旗印の下に戦い、そして最愛の主を殺し己の元から去って往った男が――一体何を云っているのかを必死で理解しようとして。
 解って。
「……き、さま……」
 ようやく口をついて出た言葉がこれか、と三成が己で己に呆れながら、そして目の前の、かつての想い人が知らぬうちにおそろしい怪物に成り果てていることに。慄いていることもおかまいないしに、家康はつらつらと。
「そう、お前はもう死んだのだ。だから、もう秀吉殿に忠義を尽くすこともしなくてもよい、天下の行方を案ずることもない。ただ、ワシの傍に居てくれ三成。殺してようやくお前を手に入れた」
 そして――
「これで、ようやくお前をワシの手でしあわせにできる」
 其の言葉に、三成は弾かれたように激昂した。
「――しあわせに、だと!?」
 掴みかかろうとして動かした身体に、鈍い痛みが走り。
「……ッッ……!!」
 と崩れ落ちる三成を、家康は迷うことなく抱き締めた。
「――私に触れるなッッ!!!」
 叫んではみたものの、自由の利かない身体と力の入らない拳では、家康の腕を振り解くことなど出来なくて。
「騒ぐな、三成」
 傷に響く、とそっと、だがどこまでも優しく背を擦られれば、あの頃の恋慕だけが――

 未だ絢爛豪華にそびえ立つ大坂城で、その月下の夜、何度でも睦んでみた夜だけが三成の脳裏に甦り。
 嗚呼、そうだ、と。
 こうして何度抱き締められたのだろうと。
 私達は恋うていたのに。
 此の血生臭い世で、それでも互いを見出して――想いあっていたと信じていたのに。
 何故、あの日々を自ら捨て己を置き去りにした男が、今更。
 すべてを、豊臣で過ごした木漏れ陽のような日々を無残に砕いた男が。

 こうまでして、自分だけを生かして求めるのか。

 嗚呼、お赦し下さい、この無様を。

 心の中で大切な人たちに赦しを請いながら、三成は
「……本当に、死んでしまいたい」
 と、血が滲むように呟いて。
「殺せ、私はもう貴様のモノとは成らん」
 抵抗さえしなかったものの、はっきりと拒絶の言葉を口に出す三成に。家康は暫しの沈黙の後――
「そうそう。真田昌幸と幸村親子なのだが」
 其の名が口に出されたことに、三成がはっと顔を上げた。
 遠い地で、それでも豊臣の為に関ヶ原へと向かう徳川の援軍を足止めする為立ち塞がった――真田安房守昌幸と、其の次男坊幸村。
 どうなったかは、知ることが出来ず己は家康の手に堕ちたのだ。
「アレらはな、今九度山に配流にしてある」
「……くど、やま……?」
 聞き慣れぬ地の名に、三成が思わず問えば。家康は彼を抱き締めたままで「ああ。高野山、なら分かるかな? あそこの麓にある村だ。其処へ配流した」と、続けた。
「生きているぞ。真田は。豊臣についてワシに最後まで頭を下げずにな。本当に大した親子だ」
 フッ、と苦く笑う家康の様に、三成が「……殺さなかった、だと……?」と震える声音で問うた。
「貴様の前に立ち塞がったというのに? 秀吉様を殺したようにはしなかったと? それは、アレらの身内の真田信之が……」
 夢で視た気がしていた。
 “これから共に歩んでくれる、お前にとって刑部のような存在”と、家康が認めた男の名。
 真田家の長男で在りながら、父・昌幸のやりように異を唱え、家康の下で戦い天下を統一することを望んだ白髪の逞しい若武者の名。
「真田信之が……」
 貴様に身内の助命嘆願を願ったのか、と三成が云いかけたが。
「いや、手駒になるかなと思ってな」
「――何?」
「豊臣の為に戦い、見事徳川の一軍を破った真田親子の首が……お前の返答ひとつでどうなるか、と云ったら、お前は」

 どうする?

 云われて、三成は男に抱き寄せられながら、背筋に耐え難い悪寒が走るのを。
「まさか……」
「別に、居ても居なくても構わないんだ」
 あの親子は。
 困ったように首を傾げてみせる家康の悪びれたことのない様に、三成がすべてを悟り思わず彼の胸の袖を掴んで。
「真田昌幸と幸村は殺すな」
 家康の瞳をしかと見上げながら、三成は、滑るように袖から細く冷たい指を滑らせて。憎くていとおしい者の頬に手を添えながら。
 それが、彼をほぐす何よりの手段と知っていたから。
「私も死なない。お前の傍に居る。だから――」
 頬から彼のくちびるへと長くて白い、青褪めた指を滑らせながら。
 三成は懇願した。
「もう、真田を責めるな」
「――そうしたら、お前は生きて傍に居てくれるのだな?」
「居る」
 微かに震える声音で、三成ははっきりと家康に向かって。
「真田昌幸と幸村は見逃せ。信乃と同じく、最後まで豊臣の名の下に仕えた者だ、これ以上――」

 私から奪うな。

 とうとう三成は、思い知って家康の胸に額を押し当てて。
「私から……」
 か細い声音を遮って。
「――ありがとう、三成」
 そう云って、家康は躊躇うことなく三成の細い身体をそっと、まるで硝子細工を扱うように壊さぬように、でも力強く抱き締めて。
「きっと分かってくれると信じている。お前も、此処に、ワシの傍に居ることが一番よいのだということを」
 あれだけのことをやってのけて? と、思わず口にしそうになりながら、三成は信じられない、と己を両腕の中に収めて――豊臣の頃、まだ裏切の痛みを知らなかった蜜月の頃と変わらぬ笑みを浮かべる仇を見詰め返した。
 絶望に捕らわれる三成と対になるような安堵の微笑を浮かべた家康は、一瞬困ったように眉を潜めた後で。
 傷だらけの分厚い、でもあの頃と変わらぬ温度の手で頬を掬われ、されるがままにくちびるを吸われる。
 何故、豊臣を、秀吉を弑せた手で、己の大切な者達を奪った手で、同じ手が、こんなにも変わらずに、あの頃のように。
 触れてくることに微かに震えを覚えながらも、受け入れてしまえば誰でもない、これが好い、と貪る様に求め合った身体の記憶だけが疼いて。
 この身体が、指が、絡め獲られる舌が、この男の味を、ぬくもりさえ覚えていなければ。

 今、男の首に添えている指に力を込めて、絞め殺すことが出来たかもしれないのに。

 だが、そう想うだけで出来ない己を殺してしまえたならと打ちのめされながら、三成は激しくなる雨音の中、恋われるままに男に抱き締められた。





 三成が、杖を頼りにだが立って歩けるようにまでになった頃、江戸の秋も終ろうとしていた。朝晩冷えぬようにと、信乃が火鉢を早に出して変わらずに離れずに、三成の世話をして。
 家康はといえば、時折訪れはするものの、無理矢理三成の身を抱き寄せることはもうなく――
 そのことを訝った三成が、「無理矢理にでも組み敷く気は無いのか」と思わず問うた夜もあったが、家康は少し困ったように笑みながら「お前がいい、と云って呉れたらいつでも」と。ただ優しく笑んで距離を保ったままだった。

 その様が、三成の気持ちを酷く苛つかせて。

 “やっとこの手でしあわせにできる”と云った。

 しあわせ。そんなものは、秀吉様が貴様の手で弑された時に、とうの昔に――
 想いながらも。日々はあまりにも穏かに流れ、自分は何も出来ぬまま此処に伏せるだけ。
 酷く高く晴れた晩秋の秋空の太陽は、床の間まで差し込んで、暇つぶしに寄越された書物を手繰る三成を微かに温めて。
 そしてふと気付いた。
 鼻先をくすぐる、濃く艶やかに芳る花の香に。
 信乃は変わらずに己の傍で、冬に備えて厚手の羽織を縫っていて。
 気を緩めれば、此処が己を囲う為に江戸城奥に築かれた屋敷ではなく、まるで己が子飼いとして過ごしていた大坂城・西の丸のようにさえ思えてしまうのは――
 顔を上げて、三成は床の間の横、回廊から広がる広大な整えられた庭の光景にはっとした。
 そうだ。此処は、似ている。いや、似ているどころか――
「……信乃」
 ふいに己の乳母役であった者の名を呼びながら。
 三成がふら、と床から立ち上がったので。
「いかがされました」
 と、信乃がさっと横に寄り添って、おぼつかない彼を支えた。
「此処は……この庭は……もしや」
「お気づきなされましたか」
 杖を手繰り寄せ、三成に渡しながら。信乃は庭へと続く飛び石の上に、履物を用意して三成を助けた。
「大坂城の、貴方様の過ごしていた西の丸を……家康様はそっくりそのまま、現してみせたのです」
 哀しげに。信乃はいたたまれないように瞳を伏せながら。
「あの御方なりに、貴方様を慰めようとしたのが、此処大奥屋敷の在り様とは」
 皮肉なこと、と続けながら。
「認めたくはありませぬが、家康様は貴方様が此処で少しでもお心安らかに過ごされるようにと、誠にお心尽くしておられるようで」
「……やはり、そうなのか……」
 信乃に履物を履かせて貰い、ゆっくりと土の感触を確かめながら歩み出る。
 三成は、近くで愛らしい橙の小さな花々を咲かしている、濃い常磐色の葉を繁らす木立に手を添えた。
「この花。日ノ本では大坂城にしか咲いておらぬ、大陸から渡ってきた花なのだと……半兵衛様のお気に入りだったのだ」
 云いながら、三成は長くしなやかな腕を伸ばして、橙色の可憐な、小さな花々に触れた。
「……そう……秋の深まる頃に半兵衛様が――」
 愛でた芳り。
「……家康は、覚えていたのか……私と半兵衛様、秀吉様が愛でた大坂城を……」
「ほんに。此処に居ると、あの頃を想い出します。佐吉殿と竹千代様は、いつも此処で仲ようお戯れになっておられました、元服されてからもおふたりはいつも此処で肩を並べて――」
 ほんに懐かしい、と信乃がどこか遠くを見詰めながら微笑んだが――
「……佐吉殿と……“竹千代様”……?」
 三成が。
 ほんの少しの違和感を、胸にひっかかる何かを覚えて眉を顰めた。
 そういえば。江戸城にて、何度か彼女が家康と自分が幼かった頃の噺をしながら家康を“竹千代様”と呼んだことを思い出す。
 だが、家康を幼名で彼女が呼んでいた記憶が無かった。
 そもそも、家康が小牧長久手の戦いに敗れまだ幼さを顔に残す頃に豊臣に下り大坂入りしたのは、とうに今川氏の計らいで元服した後であった。
 まだ幼い自分をよく信乃は“佐吉殿”と呼んでは可愛がってくれたものの、山吹色の戦装束に身を包む家康に対しては恭しく「三河守様」「家康様」と、しかと一国の主として呼んでいた――
 
「――貴様、本当に信乃なのか?」

 三成が地を這うような、戦場で敵と対峙する時と同じ声音で――
 酷くゆっくり顔を上げ、己の瞳を見詰め返してくる女に向かい問うた。
「信乃は確かに我ら……私が佐吉だった頃から、其の頃から家康のことを見知ってはいる。だが“竹千代”と……幼名で呼びはしなかった」
三成の瞳が鋭く光り。
「何故なら、家康は豊臣の外様……何よりも一国の主であった。敬意を以って、信乃は常に“家康様”と――」
 
 貴様は本当に、私の知っている信乃なのか?

三成の問いに。
彼女は――信乃は、本当に悲しそうに一瞬眉を潜めた後。
「やはり、こういったことは長く持ちませぬな」
 其の声は、年老いた嫗のモノではなかった。
 低く、今まで聞いたことのない女の声で。信乃はす、と背筋を伸ばした後――
「今まで貴方様を欺いたこと、何卒お赦しくださいませ」
 三成が驚いて瞬いた次には、其処に信乃は居なかった。信乃が居たはずの場所に立っているのは、何処にでも居るような、平凡な顔つきに黒髪を束ねた若い女で。
「信乃様は、今も美濃で穏やかに過ごしておられます。それだけは案じられますな」
 女はそう云いながら、肩膝をついて三成に深く頭を垂れた。
「ただ、膝を悪くしておられまして、どうしても江戸に迎えられなかったこと。そして、あの気高い御方はどう頼んでも徳川に下っては呉れないと……我らが伊賀忍棟梁の、服部半蔵の判断で、私が信乃様に化けて貴方様を欺くこととなってしまいました」
 どうかお赦しを、と続ける女に向かい。三成は「……貴様は……何者だ」と。低い声音で改めて問うた。
「私は家康様に仕えるくノ一、朧と申します」
 深く頭を垂れたままで。朧、と名乗ったくノ一は続けた。
「これからも、貴方様のお傍にお仕えし、お守り致します」
「――“見張る”、の間違いではないのか?」
 そう云い捨てる三成の顔を見上げながら、朧は――「……すべては貴方様の為にございます」と。ほんの少し、哀しげな気配を黒い瞳に過ぎらせながら、静かに立ち上がり三成に向かい合った。





 あちこちから大工達の威勢のよい掛け声が聞こえ、多くの人々が活気に満ちて行き来する江戸城を、片倉小十郎を伴い、ゆっくりと見渡しながら。
 奥州筆頭・伊達政宗は「大したモンだねぇ、ここいらはなんもねぇだだっぴろいのっぱらだった、ていうじゃねえか」と。前を往く本多正信――彼は家康と同じく人の好さそうな笑みを絶えず浮かべる好々爺であった――に云った。
「はい、まっこと何も無いのっぱらでありました」
 はっはっは、と。政宗と小十郎を先導し回廊を歩みながら、翁は続けた。
「秀吉公から此の地を賜った時には面食らったものでしたが、家康様は“何も無いからこそ、何でも築くことが出来よう”と、持ち前の辛抱強さで此処まで拓かれたので御座います」
 そういう御方です、と。
 肩越しに振り返りながら、正信は変わらずに笑みを浮かべはしていたものの、その瞳には「決して楽な道程ではありませんでしたが」と。己もまた本多家のもののふとして、若い家康を支えてきたのだ、という侮り難い眼光があった。
「いやいや、見習いたいモンだな」
 Fuuu、と口笛を鳴らして肩を竦めた奥州の若竜に、正信が「とんでもない、政宗殿も寒さ厳しい奥州の地を青葉山を中心に、かつて藤原氏が成したように京のような豊かで活気ある町になさろうとしていらっしゃるとか」と語りかけた時――
「――おや」
 右手の曲がり角からぬっと。
 天上に届きそうな結い上げた獅子の鬣ような白髪が現れたことに、信正が歩みを止めた後、「これは」と。白髪の巨漢の若武者が会釈をして道を開けたので。
「これはこれは、あいすみませぬな信之殿」
「信之……?」
 正信の後ろの政宗が思わず其の名を問えば。小十郎もまた、「貴殿は……」と目を細めて相手をうかがい。若武者は、弦月の兜も無く、濃い蒼の陣羽織を着崩す姿ではあるものの、政宗の右目を覆う雷を刻み込んだ鍔――眼帯ですぐに気付いたらしく。はっと目を瞠ると更に深く頭を垂れて、肩膝をついて改めて道を開けてきた。
「伊達政宗公を足止めするとは、ご無礼何卒ご容赦願いたい」
 もうこちらをうかがうこともせずに畏まる信之の様に、政宗は「……いや、こっちこそ急に訪ねて来たんだ。気にするな」と、静かに答えて。
「おや、お二人は見知りの仲でありましたか」
 数々の戦場を乗り越えて来た本多正信は、眼をきょろきょろとして記憶を辿り出したが。
「いや、戦場で出逢ったことは一度もねぇ。ただ……」
 アンタの弟はようく知っている。
 政宗の言葉に一瞬、信之の口がぐ、と結ばれたが。
「――普請場にてまだ勤めがあります故、これにて」
 深く一礼をすると、信之はさっと立ち上がり、政宗の後ろに控える小十郎にも頭を下げつつ足早に回廊の向こうへと去ってしまった。
「……真田……信之……」
 ふさふさと靡く彼の髪を見送りながら。政宗はぼそっと
「……アイツと全然似てねぇな」
 似てねぇな、と。独りごちたあと「往くか。征夷大将軍を待たせちゃ悪いからな」と、信正を促して、今頃九度山でどうしているのだろう、と己の好敵手である男のことを想った。
 だが、今日は彼の為にわざわざ江戸まで足を運んだのではない。
 そう、もしかしたら――
 公明正大、万民の為に石田三成率いる西軍を討ち倒した、と謳う、征夷大将軍徳川家康の隠された本性を暴くことになるのやもしれぬ――ある意味とても危うい勝負に出ることにしたのだ。
 後ろで変わらずに難しい顔で沈黙を守る小十郎に「おい、そんなに眉間に皺を寄せるな。別に喧嘩しにきたワケじゃねぇ」と小声で囁いた政宗に、「もっと危ういことを為さろうとしていらっしゃる」と。厳しい答えを返したが、此処まできたからには真相を探らねば、と、油断のない眼光で活気に溢れる江戸城を見渡した。




雲路の果て 前篇

ようやく書き上が……る、途中ですがもう前篇投下します。

「真田幸村伝」ベースの家三。

さこかつとダテサナ蒼紅も入っておりますので、ご留意ください。
また、今までの作品に出ていたオリジナルの登場人物、新たに創作した脇役なども出ておりますので、ご留意ください。
あと史実に沿ったエピソードも多いです なんか前書き多くてすいません

久々の連載…? 一週間程で続きUPする予定です。
文字数にもよりますが、長くても三話で完結予定です。
宜しくお願い致します。





-------------------------------------------------------------------

 しとしとと、秋雨の季節の始まりを告げる霧雨の中を。
 其の男は笠を深く被り、雨が降り出す前からまだ暑さを残す季節の中を、蓑で身を覆い、京は六条河原を音も無く歩んでいた。
 やがて人だかりの在る――幾百年も、血で血を洗う戦の果てに、“罪人”として多くの者の首が晒されている其処――首斬地蔵が見守る横に。
 男は辿り着き、背の高さから無理に前に出ることもなく、ひそひそと「無念じゃろうなぁ」「なんまんだぶなんまんだぶ」「これで豊臣の世も終わりじゃなあ」と囁く群集の後ろで。
 男は初めて、人目を憚らず笠を高く上げて――
 板の上に晒されている首を、見た。
 瞬間、息を止めて眼を見開く。そして――


「……じゃ、ない」


 彼の零れ落ちた声音に、一人の商人風情の男が振り返り「?」と首を傾げて。
「あんさん、今なんと?」
 京言葉で問われて、男ははっと笠を深く被りなおすと、問いには答えずざんざんと晒された首に向かって歩み寄り。
 周りの者が驚いてざわめく中。男はしかと凝視した。
 晒されている、銀髪に――この国では珍しい程に蒼白い肌を、死して紫に朽ち逝く其の色に。
 きつく無念に閉じられた瞼、食い縛られた薄い唇――
 だが。
 だが、“コレ”は違う。
 あの人ではない。

 一瞬で其の真実を悟った男は、本降りになりだした雨の中、散らばり出した群集、そして「あんさん、待ちなはれ――! あんさん何といわはったんや――」と声を掛ける商人を振り払い、風のように河原から掻き消えた。





 暗く、何処までも暗く深い――奈落のような闇の中。
 泥土に沈められたかのような意識と身体の重さに気付いた、次には。
 ふいに瞼に光が射してうっすらと明るくなり――次に、そのことが信じられなくて、三成は重くたゆたう意識を引き上げた。
 目を開けた其処には――此処は大坂城なのだろうか、と想う程に豪奢な金箔の地に花々が散るのを、漆に塗られた黒木が囲う天井で。
「……此処は……」
 発せられた己の声音が、驚くほどにしゃがれてか細いこと、そして――
「……ぐっっ……」
 全身を貫く痛みの重さに、三成が再び瞼を閉じて顔を歪めた。時。
「――お気づきなされましたか……!!」
 其の声に、混乱する記憶の中――遠く遠く、初めて自分がこの声の主と出逢った、酷く明るい、そう、あれはまだ“佐吉”と呼ばれていた頃――
「……そ、んな」
 必死で首を捩って己の左へと視線を動かした先に。
「信乃……!?」
「三成様……!!」
 嫗は、真っ白な髪を高貴な藤色の打掛の上に流していて。
 その姿は、大坂城で侍女頭として――そして、竹中半兵衛から「今日から君の乳母につけるね」と告げられた後、たおやかに優しい笑みで「佐吉殿、よろしうお願い申し上げまする」とこちらの顔を覗き込んできた頃と変わらぬ、かつての大切な――
「そ……んな……」
「ようございました、よう、ございました……!!」
 涙をほろほろと零しながら、彼女は大坂城でそうしていた頃と同じように佐吉――三成の傷だらけの手を握り締め。
「もう何も案じなされますな、信乃がついておりますよ」
 其の言の葉に。
 三成の淡い苔色の双眸にも涙が知らず知らずに溢れだして。
「信乃……」
「たれか!! たれかある、三成様がお気づきなされた、はよう医者を寄越しなされ!!」
 やがて慌しく侍女らや医者が己を囲み、薬を飲まされたり包帯を替えられたりしているうちに、三成は己が何故未だ生きて――そして此処は何処なのかを問うことさえ忘れ、ただ優しく己を見詰めてくる、かつての乳母にあやされるままだった。



豪奢な床の間に寝かされた三成が、此処までの子細を思い出して取り乱す前に、信乃はしかと彼の手を握り締め、「ようお聞きくださいませ」と。今のことを告げた。
 天下分け目の関ヶ原、小早川秀秋の裏切りで総崩れとなった西軍――要と成る筈であった毛利が動かぬまま、左近隊は東軍の火縄銃の雨に撃たれ散り散りに、大谷刑部も小早川軍に追い詰められ腹を切って――全てを悟り、般若の如く家康の控える本陣へ突進した三成は家康との一騎討ちとなり――死闘の末、己は止めを刺されずに家康に密かに匿われ、今此処にこうしていること。
 秀吉亡き後、不穏となった大坂城を下がって竹中の家に帰っていた信乃を、家康が嘆願して此処――江戸城へと呼び寄せて、三成の世話をするようにしたこと。
 そして。彼女はそら怖ろしいことを、最後に告げた。
「三成様、三成様が自ら御命断つ時は、信乃が死ぬ時となりましょう」
「……な、んだ、と……?!」
 眼を見開く三成の頬に皺の寄った手を添えながら、信乃は続けた。
「家康様はほんに怖ろしいお方」
 静かに首を横に振りながら、信乃は声音を低く潜めて。
「今更、美濃の田舎に下がったこんな婆に何の用があって、とわたくしも不思議に思いました。それは、三成様……貴方様を生きながらえさせることに他ならなかったのにございます。家康様は――」

 三成はきっと、関ヶ原で散った豊臣の者たちの後を追おうとするだろう。だが、ワシはそれをよし、としない。だから信乃殿、かつて三成の乳母であった貴女の命をワシが握らせて貰う。三成を決して自害させないでくれ。
 三成がもしも自害してワシの手から逃れたならば――其の時は――

「信乃の命を貰い受ける、とあのお方は仰いました」
「な……ッッ……!!?」
 関ヶ原で負った傷のせいで動かない全身を、堪えられない悪寒が襲い――次の瞬間、納得してしまう己にも寒気がした。
 そうか。あの男は未だに――
「信乃はそれでもよいのですよ」
 ふっと。
 酷くやさしく微笑みながら、嫗は三成の手をしっかと己の両手で包み込み、彼の瞳を覗き込みながら。
「三成様が秀吉様の、半兵衛様の……大谷刑部様の後を追う、と云うのならば、信乃は共に冥途に参りまする」
 其の微笑に。言葉に。
 三成の記憶が一瞬にして、花が咲き乱れ金色に彩られた美しい大坂城の、栄華極まる頃に――己がまだ佐吉だった頃に引き戻されて。
 
 佐吉殿、佐吉殿
 さあさ、こちらへいらっしゃい
 信乃がやって差し上げましょうね

 親元から離れ、幼いながらも必死で子飼いのひとりとして務めようとした、己をいつも優しく見守ってくれたこの嫗を――
 死なせるワケにはいかないと。
 何よりも、彼女は竹中半兵衛縁の者なのだ。
 関ヶ原で多くの豊臣縁者を死なせてしまい、そのうえ静かに余生を送るはずだったこの者の命をも、奪えるものか。
 家康への憎しみ、怒り、激昂よりもなお。あの苛烈でありながら、美しく緋に染まった豊臣での日々の木漏れ陽のような大切な記憶。想い出。その一部である彼女を、無残に己と一緒に道連れにすることなど。全てを失った今だからこそ。
 幼かった佐吉が、必死で今の、闇で染め上げられた己を遠い想い出の中から見詰めているのを感じながら。三成は云った。
「……信乃……」
 苦しく眉間に皺を寄せながら、三成は確かに声に、言葉にした。
「私、は。お前を無下に死なせることは……しない……ッッ」
 たとえそれが、自らの誇りを捨て去ることであろうとも。
 これ以上、何も奪えない。奪わせない。
 最後に残された絆――豊臣の、大切だったひとたちとの繋がりを。
「……佐吉殿……」
 そう、幼名(おさなな)で己を呼んで、涙を流しながら顔を寄せてくる嫗に。
 三成は頷いて、受け入れねばならぬ、と密かに覚悟した。
 せめてこのひとを家康の手から逃すまでは、生き延びねばならない、と。





 秋の深まる、一足先に冬の気配さえ近寄る奥州に到着し、馬も、それに乗る男も荒々しく息を切らしていることに――彼の人がやってくるのを櫓から見つけ、城門から出て待っていてた――蒼い黒髪を顎までに切り揃えた若武者は。「どう、どう」と。泡を吹いてる馬の頬を叩きながら落ち着かせて。
「――左近!」
 馬上の男にそう呼びかけたのは、かつて織田家で謀叛を失敗に終わらせた後、信長によって飼い殺しにされていた柴田勝家そのひとで。
「勝家」
 迎えに来てくれたんだな、と一瞬だけ酷く優しい笑みを浮かべた――京は六条河原から眠る間も惜しんで此処、奥州へと舞い戻った左近だったが。馬を降りながら息を切らす尋常ならざる左近の様子に、勝家は「どうしたのだ?」と戸惑いながら。
「勝家……竜さんに……俺ァ竜さんに直ぐに伝えなくちゃいけないことがある……!」
 そう告げると、己についた泥も落とさずに「たれか! 悪いがコイツの面倒をみてやってくれ、無茶させちまった!!」と、慌てて出てきた伊達の若衆に馬を任せ、ずんずんと政宗の居るであろう本丸へ向かう左近の後ろを、勝家も慌てて追った。



 織田家が明智光秀の謀叛により滅亡した頃、柴田勝家は討伐を命じられていた奥州にて、その“未来(ひかり)”と出逢っていた。
 奥州筆頭、伊達政宗――
 隻眼の竜の眼は、たった一度の過ち故に、魔王に地に堕とされ飼い殺しにされている若者の傷を一瞬で見抜いたのだ。
 数手の内に勝家の手から逆刃薙を弾き落とし、政宗はこう告げたのだ――「アンタ……まるで、片目を失った時のオレじゃねぇか」と。
 そして流す涙さえ忘れた筈の勝家の翠の眼から一筋のひかりが零れ落ち、蒼い竜は彼を抱き起こして「さあ、アンタの未来を獲り返すんだ」と、己の懐に抱え込んでやって。
 打倒魔王を掲げ西へと進む筈だった志こそ明智の謀叛で“打倒・豊臣”となったものの、あの時から柴田勝家は伊達政宗と其の右目、片倉小十郎の傍で未来を取り戻す為の戦いを続けていたのだった。
 そして――
 豊臣とのぶつかり合いの最中、勝家が出逢ったもうひとつのひかりが島左近であった。

「――あんた、なんで伊達軍にいんの!?!?」

 小田原城へと先鋒として切り込んだ時、それに立ち塞がった左近が目をまんまるにして己に問うてきたことに、反対に驚いて。
 
何故、この男は私のことを見知っているのだ――?

「……ふぅーん、そっか」
 やっぱ忘れちゃってるのね、と。
 勝手に納得した左近が次には「よかった、生きてて」と。
 にぃっと無邪気に微笑んだことを、今でも勝家は鮮やかに想い出せる。
 政宗とはまた違う、地を這いずる様に必死で路を探す己を照らし出すような、輝くような笑みを。
 其の笑みが知らず知らずのうちに己の中に沁み入って、何度も伊達の先鋒、豊臣の斬り込み隊長、とぶつかり合ううちに「やっぱ強えな、あんた!! 最高だぜ!!」「その軽口も、今日までだ!!」と――政宗の言葉で云うならば“Rival”のように感じ出すまでになった頃に。
 ふいに、危険を顧みず敵陣の己の寝床に現れて、「よく考えたんだけど」と。
 よくもまあ、此処まで忍び込めたもの、と目を丸くしている勝家に向かい、左近は「俺やっぱ、あんたのコト好きなんだ」と。
 好きなんだ、と。
 告げられて、あれよあれよと押し倒されて。

 あ、嫌ではない。

 左近の匂いは何処までも汗臭くて男の匂いに他ならなかったのに。芳しい――かつて恋慕った女人の纏っていた馨りとは程遠いモノであったのに。
 其の首に顔を埋めて、抱き締めてしまったから。
 誰にも云えないままでふたりの恋は始まって、秘めたままで事は関ヶ原まで進んでしまった。
 何度も文で「徳川方は豊臣を滅ぼそうとしている」「石田三成は大丈夫なのか」「お前は大丈夫なのか」と案じていたが、雲行きが怪しくなるに連れて「大丈夫だ」「案ずるな」「俺はきっと生き延びる」「豊臣の為に、三成様の為に戦い抜いてみせる」と寄越してきた文が途絶え――
 関ヶ原に東軍として参じながらも、勝家が必死で乱戦の中探し出したのは――
 徳川と小早川の火縄銃に貫かれ、息も絶え絶えの左近で。
 それだけではなく全身に斬り傷を負い、片目からはどうどうと血を溢れさせている彼を必死で抱え込み馬に乗せ、無我夢中で伊達の本陣まで連れ帰り――
 呆気に取られている政宗と小十郎に向かい、勝家は「どうか、この者を匿うこと、御許し下さい」と。
 翠玉の大きな眼を潤ませながら、必死で見上げてくる勝家の様に拒むことが出来なかった双竜が居て、島左近はあの関ヶ原を生き延びることとなった。



 そして今。処は奥州・青葉城。
 勝家からの申し出に応え、奥州筆頭――今は名実共に東国を束ねる――それも関ヶ原の大戦に勝利し、天下統一を成して幕府を開いた家康の名の元ではあったが――伊達政宗は、右目である片倉小十郎と共に、自分と同じく右目を失った島左近の前にどっかと胡坐をかいた。
 最初、関ヶ原の混乱の最中から勝家が瀕死の左近を連れ帰り、涙ながらに「どうか御慈悲を」と頼んできた時は面食らって言葉を詰まらせたが。
 主の為に全身に銃弾を浴び息も絶え絶えになりながらも、うわごとで「三成様」「家康を」「三成様」と繰り返す、そしてそんな彼を必死で抱き締める勝家の姿に絆されて――匿ってしまい。
 最初は「これはもう助からないのでは」と危ぶんだ若武者は、勝家の献身的な介抱に応えて、元のように双刀と蹴りを放てるまでに回復した。
 だが、右目――其処は弾丸でこそなかったものの、混戦の最中敵から斬りつけられた傷が深く、左近は隻眼の身となったのだった(竜さんとお揃いっすね! と言われた日には、さすがに睨みつけたものだったが)。
 普段は長い前髪に隠されているものの、その傷を見ると多少の憐憫の情も沸いてきて、今、政宗は「確かめに往く」と勝家の腕を振り払い、六条河原へと斬首された三成の首を見るためだけに危険を冒し、風のように帰ってきた若武者に向かって
「で。どうだったんだ」
 と、コトの子細を訊ねた。
「はっ。わざわざお呼び出ししてしまい、忝のう御座る」
「おいおい、オレはあんたを匿ってはいるが、アンタの主君になった覚えはないぜ。堅苦しいコトは抜きだ」
 その答えに、フ、と苦く笑った後「そうッスね」と。
 だが畏まる姿勢は変えずに、左近は京で見た事実を切り出した。

「――石田、三成の首じゃなかった、だと…!?」
「アレは三成様じゃぁありませんでした」

 左近は、政宗の隻眼を見据えながらしかと告げた。
「アレは、あの首は三成様のモノではありませんでした。よくまぁあそこまで似せたとは思いますが……俺は三成様の右腕です。見間違うワケがない。アレは三成様の首じゃあありませんでした」
 其処まで一気に告げると、左近は深く俯いて「……あんま、匿って貰っている身でこんなこと云いたくないんスけど……」と、左近は見える左目で政宗の顔を遠慮がちに見上げながら続けた。
「一度、探りを入れて貰えないッスか」
「……What?」
 左近の言葉に、政宗の眉がひくり、と上がり。
 控える小十郎の眉間にも皺が寄り、「それはどういう意味だ」と、声を上げた。
「……いや……」
 一瞬躊躇いながら。だが、左近もまた眉間に皺を寄せながらままよ、と。双竜に告げた。
「家康が“本物の石田三成を斬首したか”を、です」
 左近の言葉に、政宗と小十郎だけでなく――脇に控える勝家も息を呑んだ。
「……つまり……Boy……」
 お前は、と。
 政宗が竜の眼で、己と同じ隻眼となった左近を真っ直ぐに見据えながら。
「家康が本物の石田三成を殺さずに、何処かで生かしているっていうんだな?」
 問いに、左近は静かに頷いた。
「考えてもみてください。家康は、真田昌幸と幸村を殺さずに九度山に流罪で満足してんですよ。おかしいじゃないですか? 豊臣を天下統一まで担ぎ上げておいて、其処まで担ぎ上げた後で秀吉様を蹴落とした……家康は本当に狡猾な男なんだ。ならばコレを好機、と真田親子を死罪に追い込むことだって出来たハズ。ソレをしなかった……思うんです。あの男にとって、真田親子がどうでもいいくらいになる“何か”が手に入ったからじゃないかって……だから……!!」
 思わず拳を握り締めて語気を荒げる左近に向かい、勝家が「落ち着け左近。確かにお前が徳川氏を憎く想う気持ち、解らないでもない、だが……」と制して。
「それに、真田昌幸と幸村を殺さなかったのは、兄である信之が徳川に助命嘆願したということも考えられるぞ」
 小十郎が低い声音で静かに左近の言葉に割って入った。
「助命嘆願したのが、真田信之でなく、三成様だった……そうも考えられませんか?」
「な……っっ!?」
 左近からの思いも寄らない返答に、小十郎が仰け反った。
「三成様はああみえて、一度身内だと認めた相手にはとことん尽くすんです。真田幸村は……まあ半兵衛様の策略とは言え、豊臣の一員として関ヶ原を……上田から共に戦った……豊臣にとっては、真田は身内なんです。だから、三成様がもしあの男……家康に……」
 Hhmmmm、と腕を胸の前で組んで、暫し独眼竜は隻眼を閉じて沈黙したが。
「……Boyの云うこと、一理あるかもしれねぇな」
「政宗様!?」
 意外な主の同意の言葉に、小十郎が驚いて。
「いやな、家康って男はあの人の好い笑みの下に……どっか、計り知れない暗いモンを抱えている……オレもなんとなく感じてはいたんだ」
「竜さん……!」
 政宗からの思いがけない言葉に、左近がほんの少しの希望を隻眼に宿らせながら顔を上げた。
「あの男は、確かに絆を大切にしている。だが、それは裏を返せば絆のタメならなんでもする……そういうことでもある。己を不遇の幼い頃から守り続けてきた徳川の一門、三河十万のつわものにそれに連なる民草……解るぜ、守る為に時には非情な決断もしてきたはずだ。オレはアイツとは最近からの付き合いだから細かいことは知らねぇが、己が属して共に天下を支えてきた豊臣を裏切った……そして完膚無きまでに滅ぼした、いや、まだ大坂城が残ってはいるが……豊臣の子、秀吉の左腕だった石田を、斬首して六条河原に晒した……そういうことをやってのけるってのは、常人では、並みの心では出来ねぇ」
 感じるんだ、と。
 政宗は額をとんとん、と右手の指で叩きながら。
「あいつの底知れぬ、決して人に触らせようとしない本心……なあBoy、石田は家康にとってどのくらい“大切な”絆だったんだ?」
 その問いに、左近が思わず息を呑んで「そ……れ、は……」と。言葉を詰まらせたので。
「あー……O.K. Okay……」
 左近の苦渋に歪む顔に、これ以上は野暮、と遮ると。
「解った。オレとしても、世間には“死んだ”と見せかけておいてまで、家康が石田三成を生かしておく理由は知りたいモンだし、もし本当だとしたら天下人が世間を欺いてんだ。大問題だろ」
「政宗様、しかし……!」
 いささか危のうございます、と小十郎が政宗にだけ聞こえる様に諌めた。
「あの家康がすべてを欺いてまで隠そうとする、其処には量り難い執着を感じます。もしも石田が家康にとって“そういう”存在なのならば、蜂の巣を突付く愚行となるやもしれませぬ」
 コイツにしては鋭いな、と。政宗が驚いたように小十郎の顔を見詰めた。
「……小十郎も其処まで鈍くはありませんが」
 む、と気まずく視線を逸らして眉を顰めた右目に向かい、政宗は「Ha!」と「Sorry、Sorry? 悪く思うな小十郎」とカラカラ笑って。
「――ってワケだBoy、ちょっと待ってな。ここでおとなしく、な」
「竜さん……ッ!」
 すんません、と項垂れる左近の横に、勝家が寄り添って「万事、政宗殿に託そう。ここで私と待とう」と。左近の肩に手を添えて、案ずるように顔を覗き込んだ。
 その様子にほんの少しの寂しさを覚えつつも、大切な弟分の想い人の為でもある、と。ひいては勝家のタメにもなるであろう、と、政宗は
「小十郎。江戸に上がる、家康に逢う為の理由を作ってくれ」
 と、己が右目に名を下した。




十月十日

まつみよ2016


松永弾正久秀様、御命日に寄せて。



史実で織田軍に囲まれて、平蜘蛛爆発10秒前、みたいなカンジで。

帰宅時までに構図決まらなくて(昨日は寝オチした)、うんうん唸りつつひっさびさに英雄外伝アートワークス引っ張り出してきて、松永様左側だけ篭手してて、アンダーに西洋風ブラウス着てるって走り書き見つけて ワンドロしました。

あとは其処に智晶さんの『前夜』延々リピートでブーストかけました

久々にきちんと絵を描いたような な。

もそもそ更新しつつ

信之おにーつあん


幸村伝を一通りプレイし終わり、今は伝ベースで小説ちょこちょこ書いてます
こっちなかなか更新できなくてすいません…
捏造ショタでしか描いてなかった信之兄様
顔は優男なのに、身体がワガママガチムチバディのギャップ最高です



お兄ちゃんとパパ上の確執に泣き
幸村のどこまでも真っ直ぐで家族、そして政宗を想い続けることに泣き

家三が3の頃のような悲恋に千切れる関ヶ原に戻ったことに泣き←ここ重要

幸村伝、シナリオは本当によかったです…
パパ上は声優さんの熱演も凄く…大好きだ!!!!


でも、ゲームとしては「開発途中…?!」とさえ思えるボリューム不足と、作り込みの浅いことに…
今までのバサラシリーズを何百時間もやりこんでいた人間だからこそ、今回は
「ゲームとしては10点満中4点くらいしかあげられないな…」
と残念に思いました…

なにより、型システムと武心システムでは、思ったように自キャラを強化出来ないんですよね。
属性つけたまま攻撃特化、とか、お金稼げるようにして大将殺しもつけて、とかが出来ない。
だから、なかなかゲーム中で無双な振る舞いが出来なくて爽快感がない。

爽快感がないって、バサラとしては致命的だと思うんです。

そして、気付いたら「前談秘話」に追加されているボイスだけのやりとり…
せめてムービーつけて、各章の前後に挿入して欲しかった…特に信之と家康の話とか。
信之と家康の関係は、一章費やすくらいには描いて欲しかったです。

なんだか「時間も予算もなかったんだよー」って伝わってくる仕上がりになっているなぁ、と
残念で…

昌幸パッパとか兄上を、4や皇のシステムで育てたい、動かしたいなぁ。
って物足りなさを感じてしまいました。
まあアンケートに書いたけどね!!!送ったけどね!?!?

また小説出来たらここにもアップします

アクションはかっこいいし、PS4にしてよかったて思える操作感とモーションなので、ちまちま伝は遊びつつ…

ご案内

プロフィール

ゆみのや

Author:ゆみのや
戦国BASARA3の石田三成にぞっこん一目惚れいたし
こっそり応援し隊所存にございます。

最新記事

最新トラックバック

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。