BASARAの石田を幸せにし隊。

戦国BASARA3の石田三成をひたすらに応援するこっそり避難ブログ

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雲路の果て 後篇

幸村伝ベースの家三、これにて了。
こんなに重くて暗い家三を書いたのは初めてかもしれません。
最後までおつきあいくださるとさいわいです。


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 江戸城は本丸御殿上段之間において、伊達政宗と片倉小十郎は既に上座にて待っていた家康と対面した。
「待たせちまって悪かったな」と頭を下げる政宗に向かい「何を云う、わざわざ奥州から江戸城普請の様子を見に来て呉れたのだ、嬉しく思うぞ独眼竜」と。家康は明るく厭味の無い、変わらず人の好い笑みで双竜を迎え入れて。
「伊達家からの普請の手助け、誠に感謝しているぞ。お陰で江戸城の拡張も、滞りなく進んでいる」
 そう云って己に頭を垂れてさえみせる家康に向かい、「いや、お陰さんでこっちも名実共に奥州筆頭だ。アンタはオレに大事なモンを預けてくれた、それに応えたいだけだ」顔を上げてくれ、と。
 政宗は右手を軽く上げて、南蛮人のように肩を竦めてみせた。
 その様に「はは、相変わらず男前だな」と。明るく笑ってみせる家康に、かつての仇敵を囲ってみせる暗さなど微塵も感じられず――政宗は、左近の云ったことに一瞬疑いさえ抱いてみたが。
 この笑みに騙されてはいけないな、と。横に置いていた竜の六爪を己の後ろに退けて「もう刀の要らない世が来るのかねぇ」と、小十郎にも二対の太刀を腰から外すように促して。其の様に――武士が刀を己の背に置くということは、対峙する相手に服従を誓うことの表し――家康も「独眼竜……」と。奥州筆頭である彼がこうして己に礼を示してきたことに感じ入って。
「もちろんだ。そのタメにワシは関ヶ原で全力を尽くして三成を討ち取り、豊臣を滅ぼしてまで此処までやってきたのだ。ワシを信じて欲しい。まだ豊臣の残党、各地に徳川のやり方に異を唱えて燻る牢人達も残っているが、ワシはきっと徳川の名の元……いや、征夷大将軍として。日ノ本全ての民草が安寧の元、笑って暮らせる世にしてみせる……!!」
「家康……」
 力を込めて語りかけてくるその様に、思わず政宗も目を瞠り彼の決意が偽りではないことを知る。
 だが、だからこそ。
 その誓いを危うくするような――もしも密かに生かしておいた石田三成が、この地を脱して再び豊臣方残党を奮い立たすようなことにでもなったら――関ヶ原で多くの西軍武将が散った意味、真田家が真っ二つに引き裂かれることになった意味はどうなるというのか。
 確かめねばならない。
「独眼竜、兎にも角にも、今日はこうして逢えたのだ。酒の用意をしてある、舌の肥えたお前でも、江戸の海の幸はなかなかのモノだと思うのだ。さあ、一献傾けよう」
 家康がぱん、と手を打てば、直ぐに侍女らが江戸の土地の恵みで作られた馳走と三河の地酒を、政宗と小十郎の前と運んできた。

 家康の云ったとうり、江戸の海の幸は思っていた以上の美味であることに、政宗は素直な賞賛を贈った。
 そのことに家康はとても喜び、「此処はきっと、日ノ本の中心の地と成ると思う」と、風水的にもとても恵まれた土地であること、平野であるからこその利を政宗に語った。
 政宗もまた、奥州は冬こそ厳しいものの多くの土地の恵みがある、米も土地を拓けばもっともっと獲れるはず、と。互いに暫し、笑顔での小さな宴が進んだ。
 やがて話は関ヶ原合戦のこととなり、大谷刑部があそこまで奮戦するとは、小早川が東軍につかねば事実どうなっていただろう、石田三成の取った策は間違ってはいなかったかもしれないが、余りにも彼は独壇場過ぎた――という戦術についての語らいとなっていったが。
 話題が石田三成に触れたことに、この瞬間を待っていたかのように政宗が家康に問うたことは。
「なあ家康、石田三成っていうのはどういう男だったんだ?」
 と。
 ここぞ、と政宗はさりげなく切り込んだ。
「秀吉がアンタに倒された後、豊臣の名を背負って立った将……だが、其の前はアンタら二人であちこちを豊臣の為に平定してたんだろう? 石田三成ってのは、秀吉や竹中半兵衛が己の後継だと認める程の器だったっていうじゃねえか、ならば」
 
 なんでアンタに敗れたんだろうな?

 政宗の問いに――家康の笑顔が少し弱まり、何処か寂しげなものとなり。彼は少し視線を下に落としながら、政宗の問いに答えた。
「――三成は。まるで抜き身の白い刃のような男だったよ」
 盃を置いて拳を両膝に置きながら。家康は静かに、想い出を辿るように。
「危険なほどに鋭く、真正面から全てを断つ。そんな、研ぎ澄まされて真っ直ぐに正しすぎる刃だった」
「ほう……」
 政宗もまた酒をあおる手を止めて、しかと家康の表情を確かめるように応えて。
「だから、正しすぎるからこそ……余りにも豊臣のタメに正しすぎるからこそ、余りにも多くの敵を作ったな」
「その“敵”にはアンタも含まれてんのか」
 その問いに、家康はふ、と哀しげに首を横に振って。
「ワシは最後まで三成の味方で在りたかった。だが、三成が作ってしまった敵が、ワシをそうさせてくれなかった。結局、ワシは三成ではなく……」
 そこまで云いかけて。はっとして家康は酒に酔った己を諌めるかのように。
「ハハ、今更語ったところで」
 困ったように、口元には笑みを浮かべながらも瞳には微かな陰を落としながら、家康が云った。
「ワシは三成を斬首した。豊臣を滅ぼして己が手で天下統一を成した。そして今がある。この事実に変わりは無い」
 侘しいものだ、と。
 続けた家康に、政宗がはっとして息をのんだ。
 こんな表情。この男にこんな表情をさせてみせる程の――そういう“絆”だったのだと。分かったから。
「ワシは三成と見たかった。この新しい泰平の世を。そう想えるくらいには、ワシにとって石田三成という男は大切な存在だったよ。だが、お互いの理想があまりにもかけ離れていると気付いた時には――」
 もうこれ以上は、と瞳を閉じて言葉も閉ざした家康に向かい、政宗は再び問うた。何故、そうまで想っていたのならば、と。
「……後悔はしてねぇのか」
「――後悔?」
「ああ、石田三成を此の世から葬ったこと」
「……まさか」
 ふふ、と。それは今まで見せていた笑みとはまったく違う、何処か暗く重い笑みを。家康は浮かべながら。
「死んで貰わねばならなかった男だ。徳川による泰平の世の為に」
 政宗の隻眼をしかと見詰め返しながら。家康ははっきりと宣言した。
「豊臣は、日ノ本の安寧だけでは飽き足らず、外つ国の侵略まで望んでいた。三成があのまま秀吉殿の遺志と共に歩んでいたら、この日ノ本は百姓の倅まで一人残らず駆り出されて明の国まで攻め入る大戦に突き進むことになったであろう。ワシはそんなことは望まない。ワシが望むのはただひとつ、日ノ本の民皆が笑って暮らせる泰平の世だ。独眼竜、お前だってそうだろう?」
「Of course」
 深く同意の頷きをしながら、政宗は
「もちろんだ。アンタの云うとおりだ、豊臣は富国強兵を唱えてはいたが、あのやり方は国を豊かにするどころか根っこから弱らせるようなモンだと思っていた。それを継いで突き進もうとしたのが石田なら……そう、殺さないと。だよな?」
「――……?」
 政宗の問いように。
 ほんの少しの違和感を覚えて、家康が微かに山吹に光る瞳を細めた。
 殺さないと。殺“した”、ではなく。
 まるで、これからそうしなければならない、とでも云いたげな――
 そして気付く。まさか。彼がわざわざ奥州から江戸へ足を運んだのは、江戸城普請の様子を窺いに来たのではなく――
「……独眼竜、その云い様は」
 家康が云いかけたことを遮って、政宗が胡坐の膝の上に肘を置き、前のめりになりながら至極低く、静かな声音で再び問うたことは。
「――なあ家康、アレは本当に石田三成の首なのか?」
 挑むように鋭い隻眼の竜の眼光で、政宗は肚を括って家康に問うた。
「いや何――オレの知り合いで、石田の顔をよく知っているのが居るんだけどよ。ソイツが云うには六条河原に晒されているあの首、“アレはよく似ているけど石田三成ではない気がする”ってな――」
 云うんだ、と。
 微かに笑みさえ浮かべながら、政宗は真剣を抜くが如く、はぐらかすことは許さないという気迫を静かに漂わせていた。
 後ろで静かに見守っていた小十郎も、瞳こそ伏せてはいるが政宗と同じように気迫を纏いだして。
 瞬時に空気の変わった――今は蝋燭の明かりで煌々と照らされている間が、抜き差しならぬ危うい張り詰めたものに変わったことに、小十郎が心の中で(やはり、そうなのか……?)と。同時に、だとしたら。返答次第では政宗の身がどうなるか分かったものではない、と。どう出る、この男のやり方はあまりにも読めねえ、そして――どれだけ自分に尽くしてきた、絆を結んでいたとしても。そんな相手だろうと天下泰平の為には何でもしてみせる、みせた男だ――と。小十郎が心の中で冷たい予感を感じた時に。
 家康は、暫しの重い沈黙を破り――まるで明日の天気の行方でも案ずるような口調で云った。
「それよりも独眼竜、お前が知っておくべきなのは」
 酷く暗い、太陽とは思えぬ光を瞳に宿しながら。
 家康は、政宗と同じように肩肘を膝につけて挑むように前にのめりながら、政宗に告げた。
「ワシの手の内に、真田幸村と昌幸親子の命がある、ということだと思うぞ?」
「――な……ッッ……」
 その名前に。政宗が隻眼を見開き、歯を剥いて。
 小十郎もまた、眼を見開き小さく息を呑んだ。
「家康……アンタまさか……!!」
「九度山を囲むは、伊賀の精鋭の忍の者達。ワシの一声で、いつでも真田親子を消せるようにはしてあるのだ」
 ぐ、と胸を張り背筋を真っ直ぐにしながら。家康は今はもう、完全に駆け引きをする顔となって政宗と対峙していた。
「聞き及んでいるぞ。真田幸村とお前は、幼い頃から切磋琢磨して競い合っていた好敵手であると」
 ふふ、と。
 まるで自嘲するかのように。そう、ワシは知っていると。家康は続けた。
「好敵手……目の前に立ち塞がり、だが共に同じ高みを目指し競い、時には励ましあい……何者にも変え難い、どんな宝よりも大切でいと惜しいモノだ。そうだな、好敵手とはそういう存在だ」
 ワシには分かる、と。
 氷の様な冷たさで云い放つ家康を見詰めながら、政宗ははっと息を呑んで想った。
 では、この男にとっての好敵手とは。Rivalとは。一体誰だったのだろう、と。
「――お前の処に居る“三成をよく知っている者”にも告げておいてくれ。石田三成は死んだ。確かにワシがこの手で殺したのだ。これ以上の詮索は、自身だけではなく周りの者にとってもタメにはならないと」
「……!」
 今度こそ言葉を失い――目の前の東照権現の有無を云わさぬ忠告に。
 政宗はぎり、と口を真一文字に結ぶしかなく。
「独眼竜、ワシとお前、目指し望むものは同じだと信じている。もう死んだ者の為に、ワシはこの絆を失いたくはない」
 ふっと。打って変わった柔らかな笑みを取り戻し、家康は政宗に云った。
「もちろん、真田幸村とお前の絆が失われることも、ワシは望んでなどいない。さあ、今一度盃を交わそう――この国の泰平、民の安寧の為に」
 膳の上に放って置かれている政宗の空の盃に、手ずから酒を新たに満たしてやりながら。家康は
「ワシの望みはただそれだけだ」
 と。
 まるで影を覆い隠す、影さえも掻き消してしまうような明るい笑みで、政宗に向かいあっていた。








 江戸城普請の査察、の名目で発ってから数日の後、奥州・青葉城へと戻ってきた政宗と小十郎を、今か今かと待っていた左近は、櫓の見張り番から「お戻りになりました!!」という報せを聞いた途端に風のように飛び出して、正門で二人を出迎えた。
「竜さん、右目さん……ッッ!!」
 だが、遠路を急ぎ戻ってきた二人――小十郎が眉間に深い皺を寄せながら、左近を見とめて首をふるふると横に振った瞬間。
 左近の顔もまた、驚きと暗い予感で歪められて。
 ざんっと愛馬から降りて――政宗もまた、小十郎のように厳しい表情で出迎えた左近、その後ろには勝家も案じながら控えていたが――ふたりの顔を暫し無言で見詰めた後。重い口を開いた。
「……すまん、Boy」
 政宗から、信じられない己への詫びの言葉が出たことに。
 左近は片目を見開いて、息を止めた。
「家康は本気だ。本気で石田が死んだことにして、自分のモンだけにしようとしている」
 チッ、と、それは誰に対しての舌打ちだったのか。
「……すまねぇBoy……オレの一番大切なモンを人質に獲られた」
「――竜さん……!?」
 自分に詰め寄る左近の顔を苦しげに、だが真っ直ぐ見つめ返しながら。政宗は遠路の疲れの滲む顔で、だが伝えねば、と。言葉を振り絞った。
「Boy……家康は“石田三成は自分が殺した”と……ただそれだけを繰り返した。そして……“六条河原の首が、三成のモノではないと云う、三成をよく知る者にもこれ以上の詮索は無用。続ければ、周りの者のタメにもならない”――そう告げておけと」
 其の言葉に左近が息を呑んで。
「そしてオレには、真田幸村と昌幸親子……其の命、自分がどうとでも出来る、と脅してきやがった。間違いない、石田は生きている。でなければこんな脅しかける必要ねえだろう」
「そんな……!!」
 クッ、と唇を噛み締めて「三成様……!」と瞳を強く閉じながら、涙ぐむ左近の肩を。案ずるように勝家が寄り添ってそっと手をかけたが。
「チクショウ……ッッ! 竜さんまで脅すなんていよいよ狂ってやがる、家康……ッッ」
「――Boy、お前も今すぐ此処を出たほうがいい」
 次に政宗から告げられたことに。
 驚いて顔をあげ、非難じたのは勝家で。
「そんな……!! 左近に、青葉山城から出て行け、そう仰るのですか!?」
「――勝家」
 苦しげに。弟のように想う者から詰め寄られ、だが政宗は云った。
「家康の口調からすると、恐らく左近が生きていることはとっくに知れちまってる。あいつは伊賀忍を抱えているからな。そして、オレが左近の意思を代わりに伝えてしまったことで……もう既に――」
 政宗の言葉の最後まで待たず、左近はく、と顔を上げて
「オレが竜さんトコに匿われているってのも、バレてんでしょうね」
 と。気丈に答えてみせて。
「ああ。ヘタすれば、もうこの城の中に家康の手の者が忍び込んでお前の命を狙っている……かもしれない。Boy、お前が望んでいることは家康にも手に取るように分かってしまっているハズだ」
 だとしたら。
 左近も黙って頷き、政宗の云わんとするところを汲み取って。
 二人のやりとりを青褪めた表情で見詰めていた勝家は「そんな……!」と。ただ苦しげに「片倉氏、どうしようもないのでしょうか」と。縋るように小十郎を見上げたが、「往かせてやれ」と。小十郎がただそれだけを低い声音で搾り出したので、嗚呼、なんということに、と。想い人の横顔を翠玉の眼を潤ませながら見上げたが。直ぐに意を決して
「私も往こう」
と、左近の手を握った。
 だが、その手はそっと引き剥がされて。左近はとても優しくゆっくりと。勝家の手を己の手から剥がし、見える左目にいと惜しむ光を宿しながら云った。
「俺一人で往く」
「何故!?」
「二人では目立つ。それにいざという時にあんたを巻き込みたくないんだ。勝家……あんたは本能寺の変以来、行方知れずで通ってる。それでいい。竜さんの傍にいるんだ」
「しかし……!!」
 食い下がる勝家を遮るように、政宗が
「うちの草……忍をつけてやる。往ってこい。そして、自分で確かめてみろ、Boy」
と続け、勝家ももうこれ以上引き止めることは出来ないのだと悟った。
「すぐに発つ準備をします。竜さん、右目さん、ほんとにお世話になりました」
 何のお返しも出来なくて、と苦しそうに瞳を伏せて頭を深々と下げてみせる左近に、双竜も何とも気持ちの好い義理堅い男だ、石田三成に過ぎたる者、と賛辞されていた理由が分かった気がする、と。小十郎は左近の肩に手を置いてやり、「いいか、決して命を粗末にするんじゃねぇぞ。あの大戦を生き残ったんだ、大事に使え。もしも行き場を失くした時は、また此処に戻って来い」と、ぐっ、と若者の肩を揺さぶった。
「……ありがとう、ございます……ッッ」
 思わず涙ぐむ左近に政宗も「小十郎の云うとうりだ。死にに往くんじゃねぇ、お前の大切なモノを確かめに往くんだ。生きてまた顔みせろよ、Bad boy」と声を掛けてやり。
 かつては敵同士であったひとらの温情に、もう何も云えずに左近がもう一度頭を下げ、旅立ちの準備をするために振り返れば。
 そこには、宝玉のような翠の瞳を水鏡のように光らせた勝家が居て。彼もまた云った。
「……私も、待っている、から……」
 お前を、と。
 武将で在る前に、ひとりの人として互いに恋慕を通わすひとの想いに、左近は思わず鈍る決心を感じ「ああ、俺はこのひとが好きなんだ」と噛み締めて。
「わかってる」
 ぱっといつものように明るい笑顔を勝家に向けて、左近は頷いて見せた。
「分かってるよ、勝家。俺が想う人はあんただ。三成様は俺の大切な主君だけど、俺の心はあんたのモンだから」
 忘れないでくれ、と伝えられれば、もう耐え切れなくて左近の胸に飛び込みひしと抱き締める勝家に、さすがの政宗も「おい、あんまり見せるつけるんじゃねぇぞ」と苦い顔をして、小十郎も「まったくですな」とクク、と笑った。
 
若いふたりの様に、政宗はふいに遠く、九度山とはあちらの方であろうかと空を見上げ。奥州より遠い地で父と二人侘しい想いをしているであろう好敵手――Rivalである男を想い、「……逢いてぇな」と。誰にも聴こえぬ程の声で呟いた。






 其の頃。江戸城最奥に築かれた屋敷の中。
「……伊達政宗が……!?」
「はい」
 己に与えられた間で、家康から贈られた山のような書物、詫び寂びに富んだ名物に囲まれながら。それらを持て余しながら今でも孫子の兵法を読み耽る三成の元へ現れて、朧が家康に独眼竜・伊達政宗が“六条河原に晒された石田三成の首は本人のモノなのか”と問うたことを伝えていた。
「何故……」
「恐らく、伊達に匿われている島左近様に頼まれてのことではないかと」
「何……ッッ!?」
「他の忍が確かめております。島左近様はあの関ヶ原を生き延びて、柴田勝家様に助けられてそのまま伊達家に匿われております」
 つらつらと。相変わらず忍らしく、まったく表情を動かさぬままの朧に告げられて、三成は広げていた書物をそのままに、後ろに控える彼女に向き合って。
「左近は、島左近は生きているのか……!?」
「はい」
「柴田……勝家……? 確か織田の武将であったな、本能寺の変以来行方知れずだった筈、何故その男が左近を助ける……?」
 いや、それはどうでもいいと。
「だが、何故伊達政宗がわざわざ左近の頼みを聞くことがあるのだ……?」
「もしも、貴方様が本当にご存命とあれば、生き残った各地に散らばる西軍残党……豊臣恩顧の武将達も再び動くからでは、と危ぶまれたのでしょう」
 朧はくノ一らしく、各地の世情を熟知したうえでの事実を三成に告げた。
「それほどに危ういことなのです。大殿が貴方様を生かしているということは」
 だからこそ、確かめに来られたのでは、と彼女の云うことに。
「…………」
 三成は暫し虚空を睨みつけ、沈黙していたが――
「……解らない」
 ふいに、酷く低い――だが、微かに震えるような声音で。彼は誰に云うでもなく続けた。
「私を殺して己の信じた道を往くのではなかったのか……? 世間を欺いて私を生かす……だが何処かからこの事実が漏れたら今の立場が危うくなるどころか、築いた幕府、泰平さえ危ういではないか、何故、何故……」
 殺さない、と視線を泳がす三成を、静かに見詰めながら。朧が云った。
「それはひとえに」
 ひとつ。呼吸を置いて、彼女はふっと。正体を明かしてから初めて、表情らしい――其れは酷く切なく哀しげな――を浮かべて。
「家康様にとって、貴方様の代わりに成る者など居られぬからです」
 告げられたことに、三成が驚いて彼女の顔を見詰めた。
 今の彼女はくノ一としてではなく、ひとりの女として三成と対峙していた。初めてこの女の顔を見た気がする、と三成は彼女の白い肌に浮ぶ黒い瞳を見詰めながら、彼女の言葉の続きを聞いた。
「天下を泰平に導く、それも確かに大殿の悲願でございました。ですが、それよりもなによりも。貴方様の為にこの大奥を造られて、貴方様の為だけに――」

 豊臣を滅ぼしました。

「大殿を狂わせたのは貴方様に他なりません」

 三成様。

「あの御方はただひたすたに耐える御方でした。ですが、貴方様に対してはその枷を外された。耐えることをせず、己が手に入れようとしたのです――」

 太陽が、月を愛でて光らせることを望み続けるように。

「貴方様は豊臣の子でした。豊臣が在り続ける限り、貴方様が真の意味で己の手に収まることはないと悟った日から――家康様は……貴方様を解放することだけを望まれていたのです」

 豊臣という名の枷から

「枷……? 豊臣の、秀吉様の、秀吉様と私の絆が枷だと……家康は想っていたのか……?」
「恋しい家康様の下へくだれなかったのは、貴方様がひとえに、豊臣筆頭の武将であったが故にではないのですか?」
 女の告げたことに、三成の顔からさっと血の気が引いて――酷く明るい月の下、「どうかワシと共に来て呉れ」と懇願した男の表情が鮮やかに甦り――
 ふらり、と。
 おぼつかない足取りで、朧が驚いて駆け寄るのを払い除け、三成は晩秋の花々で美しく彩られた庭へ――庭へと裸足で進み入って。
 震えてまともに己を支えることも出来ない傷ついた身体を、今更想い知った家康の心を。すべてを引き起こしてしまった、この恋に。
 打ち震えながら、叫んだ。
「嗚呼、嗚呼、アアァ!!」
 咲き誇る晩秋の野花を、狂ったように両手で薙ぎ払い散らしながら。
 三成は啼いた。
 ソレは、傷ついた獣の咆哮のように美しい庭に響いて。
「三成様!!」
 朧が暴れる彼の肩を必死で両手で掴み「お止めください! お身体に障ります!」と、抱き締めて。
「これが嘆かずに居られようか……ッッ……」
 細く長い身を折り曲げ、三成は――足元に咲き乱れる桔梗に埋もれるように。
 彼は今まで流せなかった――血のように赤い涙を幾筋もきつく閉じた瞳から流しながら、震える声音で云った。
「関ヶ原を、豊臣を滅ぼす戦を起させたのが、私の、私への……私さえ居なければ、家康は豊臣を滅ぼさなかった、私が、私が豊臣の子であったが故に、あれは私をこうして手に入れるタメに」

 秀吉様の存在を、完璧に此の世から消さねばならぬと

「なんという……」

 恋は人を狂わす、と世の人々が謳うのをひとごとのように聞いていた。
 だが、此の身を焦がしたあの恋は今も未だ燻るどころか確かに燃え続けていて。
 
「――家康を狂わせたのは、私なのだな」

 泣きながら、雪よりも蒼ざめた白い面を両手で覆う三成の問いに。
 彼の肩を抱きながら、朧が静かに、だが心からの憐憫を込めた声音で答えた。
「左様にございますれば」
 其の答えに。
「嗚呼」
 と三成は更に深く身を折った。
「――もう、戻らぬのだな」
 もう涙を流していない――透明な、家康が「何時まで見詰めていても飽きない」と愛でる苔色の瞳が。
 死んだように遠くを見詰め、だが其の目は遠い遠い、木漏れ陽のような始まりの日々を追いかけていて。

「私を離さない、と云って」
 甦るは、想い伝え結んだひとの、切ない顔で。
「私の傍に居ると、云った」
 そう云って、彼は自分を何度抱き締めただろう。
 遠い日々、だがそう遠くはなかったあの日。忘れることなど出来ぬ距離。
「好きだと云えば、ワシもだと云い、此処に居ると私を抱き締めた」
 だから己も云ったのだ。己もそう想っていると。
「泣くな、と云って、ずっと傍に居るからと、決して独りにはしないと私を抱いた」
 彼が伝えてくれれば呉れるほど。どうして自分は泣いてしまったのだろう。
「私が願うなら、ずっと、此の世のすべてを敵に回したとしても、ずっと、永遠にでも私の傍に居ると云った」
 そして頬を掬いくちづけた。何度も何度も、明るい月下のこの庭で。
「そのとうりになってしまった」
まるで、迷い子のように。
 途方に暮れて項垂れて。
「――だが、私も嘘をついたのだ」
 項垂れて、彼は続けた。其れはまるで己に云い聞かすように。
「あれを好きだ、此の世のすべてを敵に回しても傍に居たい、と想っていたのに。私は豊臣の子である己を捨てられず、秀吉様を一番に想ってあれの手を振り払ったのだから」

 永遠を願うなら。
 一度だけ、あの日一度だけ抱き締めて――
 離せばよかったのに。
 そうすれば、この数多の命を巻き込んだ狂った恋路を、辿らずに済んだのに。

「私さえ……」

 居なければ。

 そう呟いてみたものの、今は。現実は。
 すべてが焼け野が原とされ、立ち尽くして。
 このまま枯れてしまいたいと望んだのに。

 なにひとつ赦せないままでも、守らなければ成らないモノがある。

「――そうか」
 
 そうなのだな、と。
 酷く冷たい頬で、酷くはっきり響く声音で。
 三成は誰に一体云ったのだろう。

「これは私への罰。あの日、あの日々の中で誰よりもお前がいと惜しい、恋しいと伝えられずに。秀吉様の、豊臣の子で在ろうとした私への罰――」

 あの時に戻り、もしも狂う前の君に伝えられたなら。
 凡てを焼き払ってまで、己を奪おうとするまでに君を追い詰めることは無かったかもしれない。

「――三成様……」
 朧は、鈍い空の下、降り出した冷たい小雨の中。
 彼が冷えてしまわぬように、そっと背中を擦りながら懇願した。
「どうか、お解かりくださいませ。凡てを照らす太陽で在ることを強いられたからこそ、忠勝様さえ解らぬ孤独をあの方は背負い込んで、そして――」

 其の孤独に添ってやれるのは

「月の様な貴方様だけなのです」

 三成様

「……解っている」
 赤く涙の筋が残る顔を上げ、冷たい雨を頬に受け止めながら。三成は答えた。
「あれに私は云った。“いと惜しい”と。“ずっと傍にいろ”と云ったのに。私がそれを赦さなかったのだ。なんという矛盾……ならばもう」

 力尽くでこうするしかなかったのだ。

「私との誓いを果たすために」

 ずっと傍に居る。待っているから。
 泣かないで。此処に居るのに。
 ずっと、たとえ星が、天が否と云おうとも。

 木漏れ陽のような、きらきらと瞬く星のような、眩しくて目の潰れるような甘い誓いの数々を。散々交わしたあの日々を。
 想い出しながら、三成は静かにもう一度――今度は透明な涙をひとつ、零した。





 其の夜、今までくちづけだけしか赦さなかった三成が、初めて家康に身体を開いた。
 驚く太陽の権現に、彼は「希っていたのではないのか」とだけ小さく問うて。「嗚呼」と、震えながら太陽の君は「希っていた」と。震える指で、彼の雪の様に青褪めた頬に触れながら。「望んでいたんだ」と。誘われるままに褥に堕ちた。






 それから暫く、日々はとても穏やかに過ぎた。
 三成の傷は大分癒えたが、やはり上手く歩くことは出来ないままだった。だが、奥屋敷で書物を手繰り、庭の花々の手入れを指図するだけの身には、もう不便と思われる程の傷は無かった。
 夜になれば家康が訪れ、ふたりで何をするでもなく冬が来る、此処にも雪は積もるだろうか、庭の木々にも藁を巻いてやらねば、などたわいも無い話をして寄り添って眠ってみたり、家康が望めば三成は拒むことなく静かに情を交わした。
 朝まで、目が醒めるまで同じ褥で自分を抱き締める彼の頬を、夜明けの仄かな光の中で撫でてみれば、あの頃の激情は甦ることなく、只今はこのままでいいと。
 三成は、彼の陽だまりのような匂いを確かめながら微睡(まど)ろんでいた。
 だが――



 寒さの厳しくなってきた日、古傷を痛くする雨――いや、雪になるかもしれない――を運んできた鈍く重い灰色の空を確かめるために庭へ出た三成に、その男がとうとう姿を現した。
 
 ふいに躑躅の木陰に気配を感じ、まさか、此処は伊賀忍たちが守りを固めているのに――? と身構えた時。聞こえたのは――

「……三成様……!!」

 忘れようがなかった。
 かつて己の左に常に控え、石田軍斬り込み隊長として華麗に戦場で舞っていたその男の声を。傷つき彷徨う中を拾い取り、豊臣の力として育てた――大切な、己の左腕を。
「……き、さまは……!!」
 震える声音で呼べば、茂みから彼は音もなく、あの頃の戦装束のままで姿を現した。
「左近……!!」
「三成、さま……!!」
 ぐっ、と。左近は跪き、深く、深く頭を垂れて三成に向き合った。
「遅くなっちまいました……島の左近、生きて此処に参上して仕り候……ッッ!!」
 震える声で、涙が滲む声で左近は「やっと逢えました」と。拳を震わせながらぽとぽとと、涙を幾つも地面に落としながら云った。
「無様に関ヶ原を生き延びたこと、何卒お許しされたく……ようやくお迎えに上がれました」
 そう云って顔を上げた左近の、長い前髪でも隠せない右頬の傷に気付き、三成は息を呑んだ。
「其の片目は……」
「関ヶ原で潰れちまいました」
 ふ、と。ようやく苦い笑みを零した左近が、三成にだけ聴こえるように声を潜めながら早口に続けた。
「そんなことはどうでもいいんです。苦労しました、此処は伊賀の精鋭の忍たちが守りを固めてて、忍び込むまでに時がかかってしまって……伊達さんとこの素破に助けてもらってなんとか今日、ようやっと此処まで……! さあ、三成様、逃れましょう……!! もう家康の手に囲われていることはないんです、ようやくあんたを自由に出来る……!!」
 さあ、と手を差し伸べてくる左近に。
 三成は、嗚呼、と。
 瞬時に己の存在の意味を悟った。
 微睡ろむ日々の中で忘れようとしていたもの。
 豊臣の残された寵児、最後の遺志。
 秀吉の後継、西軍総大将。
 だが、其の己が再び解き放たれるということは。
 あの、数多の命を散らした、あまりにも多くの者が命散らした、豊臣の――大切なひとたちにトドメを刺してしまった、関ヶ原を再びこの世に現すこと。
 それがどれだけ多くの者を巻き込むのか。
 真田昌幸、幸村、左近の右目、そして信乃までをも。
 この己の為に。
 解っていた。解ってしまっている今だからこそ。

「…………これ以上、私に殺させるな」

 搾り出すように。
 低い声音で、三成から告げられたことに、手を差し伸べていた左近の表情が凍りついた。
「これ以上……私は殺せない」
「三成様……!?」
 左近が思わず立ち上がり、三成に歩み寄ろうとしたが
「来るな!!」
 今度こそ、彼ははっきりと拒んだ。
 かつて大切な左腕と認めた若武者の、柑子色の隻眼を真っ直ぐに見詰めながら。来るな、来てくれるなと。どうかこの決心を揺らがしてくれるなと、真っ直ぐに彼を見詰めながら告げた。
「左近、私は死んだ。関ヶ原で確かに家康に殺された。そして今の泰平が、家康の手による泰平がようやく訪れたのだ。もういい、これ以上の死を私は望まない。たとえ今逃れてみせたとしても、家康は何度でも私を手に入れるタメに私の大切な者たちの命を脅かす……私は此処に居て悟ったのだ。もういい、関ヶ原で終らせたい」
 お前の――命すら。あの男は私を傍に置くタメにならばきっと――ならば。
「左近、お前が生きていてくれた、それだけでもう私には充分だ」
 生きてくれ。
 三成から告げられた真意に。信じられない、と慄きながらも、左近の残された隻眼から、熱い涙が零れ落ちた。
「逃げましょう、此処から……!! 俺が必ずあんたを逃がして守ってみせます!!」
 そして――
「もう一度、豊臣の名の下に……ッッ!! 刑部さんやうちの左近隊の連中に……ッッ!! 豊臣の覇の志を信じて散った人たちに、このままでは顔向け出来ない!!」
「――もういい」
 微かに震える声音で。三成は左近の言葉を遮った。
 それはまるで、己に云い聞かせるように。
「もういい、あれらは死んだのだ。秀吉様も、半兵衛様も。刑部も、皆、皆もう居ない、死んでしまった。私を置き去りにして……だが左近――」

 お前は生きている。

「もういい、左近――お前は、お前の為に生きろ」
「……なっっ……!!」
「――家康は私の願いなら聞く」
 其の一言に。
 左近は信じられない、と三成へ一歩詰め寄りながら。
「解るだろう。こんなことをしてまで私を生かしている……家康にとって一番怖ろしいのは――」

 私を喪うことなのだ

 三成の云うことに。
 それでも、左近は認めたくなくて、駄々をこねる小供のように。
「三成様……でも、それはあんたが……あんたが望むことなのか……!?」
「私の意向などどうでもいいのだ」
 最早。
「私は死んだ。あの日、篠突く雨の関ヶ原で。家康に殺され、此の首を刎ねられて六条河原に晒されたのだ。お前もきっと、見たのであろう?」
 くるりと。三成が左近に背を向け、地を這うような――あの頃。あの頃「必ず果たせ」と命を下す時のよう、告げた。
「去ね。そしてもう、二度と私の前に現れるな」

 貴様は生者なのだから

「…………ッッ…………」
 左近が涙を流しながら声を殺して項垂れた其の時。
「――三成様? 誰と話しておいでですか?」
 近侍なのだろうか、低い男の声音が障子の向こうから問うてきて――
 一瞬、三成と左近は目を合わせ息を止めたが。
「誰も居ない」
 はっきりと、三成は障子の向こうに控える影に告げて。
「しかし……」
 影が不審そうに答え、障子に手を掛けた気配がして。
 三成が左近に向かいく、と顎を上げて促した。あの頃と同じように。
 其れは“往け”という合図――
「…………どうか…………」
 最後に。
 左近はぐ、と深く頭を垂れながら云った。
「どうか……どうか、せめて」

 しあわせに

 其の言葉に、はっとして三成が振り返った時には、もう彼は居なかった。
 しあわせに。
 其の言葉に、三成は改めて想い知った。
 そうだ、皆そうだったのだ。
 誰もがソレを求めて必死に――

「……左近……」
 三成もまた、どうかお前も、と願いながら。静かに項垂れてひとつだけ涙を零し。
「……礼を云う、左近」
 左近の去った後を、灰色に鈍く曇る冬のはじまりの空を見上げながら、三成は呟いた。
 
 もう一度逢えて、嬉しかった。

 だが、この想いを言葉にして、声にして伝えてしまえば――
 きっと、お前は。だから。

「……三成様……」
「礼を云う。これでよかった」
 障子を開けた其処にいたのは、男の声とはまったく違う声音に、己の持つ女人の声音に戻った朧で。
 彼女は思いもかけない三成からの礼に、微かにだが哀しげに顔を曇らせていた。
「これでいい」
 これで。 
「勘違いするな。此れは私の、私に対する罪への贖いなのだ」
 何処でもない虚空を睨みつけながら。
 三成は不思議と生気の宿る頬で。
「遠い昔、私は嘘をついた。あの嘘さえなければ、家康は……」
 あの関ヶ原を、あの、数多の命を奪った戦いを。
 もっと違う道があったのかもしれないのに。
 だが、今となっては全てが遅過ぎて。
 大切なひとたちは逝ってしまった。
 だが、まだ残ってくれたひとたちも居るのならば。
 三成は再び己に云い聞かせるよう、声にして確かめた。
「真田親子も、左近も。もう、あれが手を下せぬように。私への恋慕で縛り付けて――」
 其処まで云うと。ふいに、三成は酷く儚げな、まるでそれは迷子の幼子のような。
 長い黒鳶色の睫を震わせながら、蛇のように細くしなやかな首をく、と曲げながら。
「……しばり、つける……?」

 誰を?

「縛り付けられたのは……」

 そうか。
 家康だけではなく。

「そうか…………」

 力なく。打ちひしがれる佳人の肩にそっと、労るように己の打掛を被せてやりながら。
 朧は何も問わずに「三成様、冷えて参りました。お部屋にお戻りくださいませ」
 お身体に障りましょう、と。
 そっと手を取られて、三成はふいに朧の顔を見やると「……信乃?」と。「まるで信乃のようだ」と。あまりに無防備な、いたいけな表情で云われて、朧は思わず「それでようございます」と。偽りのない微笑を彼に投げかけた。
「信乃にございます。三成様」
「――そうか」
 こんなにも弱々しい声音で彼が答えるのを、初めて聞いた。
 嗚呼、この方のお心は、これ以上なく傷ついて砕け散ってしまっているのだ。
 もう殺されてしまったのに、此処で息をして愛でられることを強いられて。
 そのことに、痛みを感じることさえ赦されずに。
 朧はもう何も云えずに、「さ、三成様」とだけ。
 佐吉で在った頃のように彼女に手を引かれて磨き上げられた回廊に上がり、細い影は静かに江戸城の奥へと掻き消えた。







 春。
 広大な庭のあちこちで新しい緑が芽吹き、桜も咲きだした。
 
 庭の奥にある池の傍、三成の肩を支えながら家康は「綺麗だな」と。
 若い桜の樹を見上げながら微笑んで。
 
 ふたりだけ。
 他には誰も踏み入れることを許されない秘された場所で、初めての春だった。

 周りには水のせせらぎと春の小鳥達の囀りだけが響いて、三成もまた穏やかな表情で桜を見上げていた。
「大坂の桜も京の桜も美しいが、半兵衛様のお気に入りの桜もこのように若く細い、でも綺麗な色を咲かした」
「ああ、お前の部屋の前に植えてあったな」
「春には花びらが文机の上まで舞ってきて」
「ああ、お前の西の丸の部屋はよく陽が射して明るかったな」
 此処、江戸城大奥で生きることを決めた最初こそ、牙を抜かれた獣のように生気を失った彼の様に、このまま弱って死んでしまわないかと何処か怖ろしくもあったが。彼は冬を乗り越え、こうして生きて己の横に立っている。
 家康はこれでよかったのだ、と。酷く静かな三成の横顔を見やりながら続けた。
「そう云えば、昔お前が池に鯉を放したことを思い出すよ」
「ああ」
「夏の日に……そうだ、此の池にも鯉を放そうか。三成」
「――みつなり?」
 ゆっくりと。名を呼ばれた筈の者は、逆にそれはたれのものか、と問うように。
 夜の雪のように青褪めた肌に映える、大きな眼を見開きながら。長い首をかしげながら春の木漏れ陽の中で、彼は不思議そうに家康に問うた。

「石田三成は死んだのだろう?」

 おかしなことを云う。と、透明な表情で真っ直ぐに家康の山吹色の瞳を射抜いて。
 彼の答えに、「……嗚呼」と。
 ほんの少しの躊躇いの後、家康は「ああ、そうだったな」と答えて。
 何処か哀しげに瞳を伏せながらも微笑んで、そっと顔を近づけて彼の薄い唇を請うた。家康の求めに流れるように応えて。彼は其の精悍な頬に白い指を這わせ、されるがままに口を開いて彼を受け入れて。
 ふたりでそのまま柔らかな緑の褥に倒れこめば、まるで小供のままごとのようにちゅ、ちゅ、と吸いあう音が水面に響いて吸い込まれていったが。
 ふいに白い手で家康の胸を押しやりながら、着流しから肌蹴た己の足元を彼が見やるので。
 家康も「何?」と半身を起して彼の視線の先を追って。
「――蛇」
 家康の耳元にくちびるを寄せながら、彼が吐息の程の微かさで囁いた。
 じいっと。青大将だろうか、緑青色の鱗を持って真っ黒な瞳をした蛇が。
 行く手を遮られている、とでもいいたげにふたりをじいっと見詰めていて。
 ふたりもなんとなく気まずく思い、息を殺していたら。
 蛇は、するすると白い足首の上を這って、ぱしゃり、と。池に飛び込み悠々と川下の方へと泳ぎ去っていってしまい。
 残されたかつて三成、だった人がその姿を見送りながら、ぽそりと呟いた。
「罪も私を見逃すか」
 酷く寂しそうな云い様に、思わず家康が「みつなり」といいかけて。
 出来なくて、暫しふたり、すべてから取り残されたように、春風が桜の花びらを池の水面に飾ってやるのを見詰めていたが。

 ――大坂城には、関ヶ原を生き残った西軍残党、それに各地で徳川平定による煽りを喰らった牢人達が集結し出している。

 真田昌幸は九度山に配流されたまま死んでくれたが、息子の幸村は親しくなった村人達の助けを受け、密かに見張りの網から抜け出したと報せがあった。

 目を閉じれば、まだ終わってなどいない戦の報せだけが、頭の中を駆け巡る。

 ワシは逃して貰えぬようだ。

 それでも生き延びるし、其の為にならなんでもするだろう。
 これに降りかかる筈だった呪いを咎を、ワシが受け止めて背負って往こう。
 だから、どうか。

「なあ、やっぱり鯉を放そうか」
 夏に泳いでいたら涼しげだろう? と云いながら。
 心の臓の音を確かめるように胸に頭を預けてきたひとの黒髪を撫でながら、月のような彼は
「好きにしろ」
と。
 長い睫を伏せながら「好きにするがいい」と、囁いた。




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ゆみのや

Author:ゆみのや
戦国BASARA3の石田三成にぞっこん一目惚れいたし
こっそり応援し隊所存にございます。

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